ハディク、マリア・テレジア勲章を授かる
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「ベルリン襲撃 (1757年)」の記事における「ハディク、マリア・テレジア勲章を授かる」の解説
マリア・テレジアからアンドレアス・ハディク・フォン・フタクは後に下記の手紙を受け取る。 「我々は、我々が、そして貴殿がかくも賢明かつ見事に遂行した、ベルリンに対する作戦がもたらした最高に慈悲深い満足と、その際に将軍、士官や兵が示した忍耐強い勇気のみならず、後者がこの機会に見せた無私の服従と徴収した資金が、格別の喜びをもたらしたことを知らせる必要があり、この楽しみを生み出すよう望み、さらに我らの大将、司令官、男爵たる貴殿に本件に関して、宮廷軍事諮問委員会を通じて与えられる全てに関与するものなり。貴殿に国王そして皇帝としての寵愛と慈悲をもって、好意を寄せ続けるマリア・テレジアより(自署)。 その功績により、ハディク伯はマリア・テレジア軍事勲章の大十字章(英語版)を授かった。それは全体で、20回しか授章の例がない 。彼はこの最高勲章に与った、2人目のフザール指揮官となった。先例としてはナーダシュディ伯フランツ・レオポルトが、1757年6月のコリンの戦いにおける功によって受章している。この勲章は、1758年3月7日の第1回授与式に際して授与された。また皇后は、ハディクに3000枚のドゥカート金貨を下賜した。同年、ハディクは騎兵大将に任じられている。 フリードリヒ大王は損害が比較的軽微に留まったにもかかわらず、ハディクによる首都の襲撃を絶対に許さなかったという。彼は講和後、オーストリアと協調関係に立った時でさえこの将軍と会うのを避けた。
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