ハディム・スレイマン・パシャの遠征(1538年)
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「オスマン帝国のインド洋遠征」の記事における「ハディム・スレイマン・パシャの遠征(1538年)」の解説
ムザッファル・シャー2世の跡を継いだグジャラート・スルタン朝のバハードゥル・シャーは、オスマン帝国に対ポルトガル作戦の再検討を求めた。これを受けて、スレイマン1世はハディム・スレイマン・パシャをインド艦隊の提督に任じた。この時ハディム・スレイマン・パシャが指揮した艦隊の規模はガレー船90隻ほどである。1538年、ハディム・スレイマン・パシャは紅海からアラビア海を通ってインドへ向かったが、その途上でバハードゥル・シャーがポルトガルにより暗殺され、後継者がポルトガルと同盟を結んでしまったことを知った。オスマン艦隊はディーウ島を包囲したが失敗、撤退を余儀なくされたものの、その帰路でアデンを含むイエメンの大部分を征服した。この功により、スレイマン1世は遠征からスエズ経由で帰還したハディム・スレイマン・パシャを大宰相に任じた。
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