ハイティンク時代とは? わかりやすく解説

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ハイティンク時代(1967年 - 1979年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:00 UTC 版)

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事における「ハイティンク時代(1967年 - 1979年)」の解説

オランダ名門オーケストラアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者務めていた同国出身指揮者ベルナルト・ハイティンクが、1967年から首席指揮者になる。ビーチャムによる創設からずっとイギリス人指揮者迎えていたこの楽団迎えた初めての外国人指揮者である。 この時期ハイティンクは、母国オランダのフィリップス・レーベルに精力的にレコーディング行い著名作曲家の交響曲全集次々と録音していた。それらの多くコンセルトヘボウ管弦楽団との録音だったが、ハイティンクロンドン・フィルともたくさんのレコーディング行った代表的なもの1974年から1977年にかけて録音されベートーヴェンの交響曲全集ピアノ協奏曲全集ピアノアルフレッド・ブレンデル)であり、そのほかにリスト交響詩全集ピアノ協奏曲集、メンデルスゾーン交響曲全集などがある。そして旧西側初の試みとなったショスタコーヴィチ交響曲全集コンセルトヘボウ管と分担して録音したショスタコーヴィチ全集のみ、イギリスデッカ録音担当している。イギリスの「お国もの」であるヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集EMI)、エルガーの『エニグマ変奏曲』(フィリップス)なども録音しており、『エニグマ変奏曲』はのちに楽団自主制作レーベルLPO」からライブ盤リリースされた。 この時代ロンドン・フィル録音聴くと、コンセルトヘボウ管と似た柔和上品な表現加わりハイティンクのオーケストラ・ビルダーとしての実力の高さがうかがい知ることができる。ハイティンク離任後もグラインドボーン音楽祭などで同団と親密な関係を続けたハイティンクからショルティ時代にかけてロンドン・フィルコンセルトヘボウ管、シカゴ交響楽団という、しばしば世界一と讃えられる名門オケとの兼任指揮者戴くことになり、大きな自信を抱くことになった2人指揮者レコーディングにおいて両手兵を適時適所使い分けることになり、上述ショスタコーヴィチ交響曲全集などは典型である。

※この「ハイティンク時代(1967年 - 1979年)」の解説は、「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の解説の一部です。
「ハイティンク時代(1967年 - 1979年)」を含む「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事については、「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の概要を参照ください。

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