ハイティンク時代(1967年 - 1979年)
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「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事における「ハイティンク時代(1967年 - 1979年)」の解説
オランダの名門オーケストラ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を務めていた同国出身の指揮者ベルナルト・ハイティンクが、1967年から首席指揮者になる。ビーチャムによる創設からずっとイギリス人指揮者を迎えていたこの楽団が迎えた初めての外国人指揮者である。 この時期ハイティンクは、母国オランダのフィリップス・レーベルに精力的にレコーディングを行い、著名作曲家の交響曲全集を次々と録音していた。それらの多くはコンセルトヘボウ管弦楽団との録音だったが、ハイティンクはロンドン・フィルともたくさんのレコーディングを行った。代表的なものは1974年から1977年にかけて録音されたベートーヴェンの交響曲全集・ピアノ協奏曲全集(ピアノはアルフレッド・ブレンデル)であり、そのほかにもリストの交響詩全集・ピアノ協奏曲集、メンデルスゾーンの交響曲全集などがある。そして旧西側初の試みとなったショスタコーヴィチの交響曲全集もコンセルトヘボウ管と分担して録音した。ショスタコーヴィチの全集のみ、イギリスのデッカが録音を担当している。イギリスの「お国もの」であるヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集(EMI)、エルガーの『エニグマ変奏曲』(フィリップス)なども録音しており、『エニグマ変奏曲』はのちに楽団の自主制作レーベル「LPO」からライブ盤もリリースされた。 この時代のロンドン・フィルの録音を聴くと、コンセルトヘボウ管と似た柔和で上品な表現が加わり、ハイティンクのオーケストラ・ビルダーとしての実力の高さがうかがい知ることができる。ハイティンクは離任後もグラインドボーン音楽祭などで同団と親密な関係を続けた。ハイティンクからショルティの時代にかけてロンドン・フィルはコンセルトヘボウ管、シカゴ交響楽団という、しばしば世界一と讃えられる名門オケとの兼任指揮者を戴くことになり、大きな自信を抱くことになった。2人の指揮者はレコーディングにおいて両手兵を適時適所に使い分けることになり、上述のショスタコーヴィチ交響曲全集などは典型である。
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