ハイウェイマンの活動場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 02:16 UTC 版)
「ハイウェイマン」の記事における「ハイウェイマンの活動場所」の解説
ハイウェイマンはしばしばロンドンから放射状に伸びる主要幹線で待ち伏せた。通常、荒野や森林といった孤立した立地が選ばれた。バースとエクセターへの道路が交差するハウンズロウ・ヒース(英語版)は非常に彼らに好まれた場所であった。サリーのバグショット・ヒース(英語版)もまたエクセターへ向かうルートの1つとして危険な場所であった。イングランドで最も悪名高い場所の1つは、グレート・ドーバー・ロード(英語版)のシューターズ・ヒル(英語版)であった。グレート・ノースロード(英語版)にあるフィンチリー・コモン(英語版)もまた同様に悪かった。 ロンドンの南方で活動したハイウェイマンは、イギリス海峡の港や、1920年に温泉で貴族の遊興地となったエプソム、また1625年から上位層の間で人気を博した競馬やスポーツイベントが開かれたバンステッドダウンズ(英語版)などに通じる街道で、裕福な通行人を狙っていた。18世紀後半からはロンドンからライゲート(英語版)、ブライトン、サットンに通じる幹線道路が狙われるようになった。危険だとみなされていた公有地や荒野にはブラックヒース(英語版)、パットニーヒース(英語版)、ストリータムコモン(英語版)、ミッチャムコモン(英語版)、ソーントンヒース(英語版)(「死刑執行人のエーカー」または「ギャロウズ・グリーン」としても知られている絞首台のエリア)、サットンコモン(英語版)、バンステッドダウンズ、レイゲイトヒース(英語版)がある。 17世紀後半から18世紀初頭にかけては、ハイド・パークに出没するハイウェイマン対策としてウィリアム3世はセント・ジェームズ宮殿とケンジントン宮殿の間のルート(ロットン・ロウ)を、夜間はオイルランプで照らさせた。これはイギリスで最初の街灯となった。
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