ヌンホル島・サンサポール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:15 UTC 版)
「ニューギニアの戦い」の記事における「ヌンホル島・サンサポール」の解説
1944年7月2日、アメリカ軍はヌンホル島(マノクワリの東方、ビアク島の西方)にも飛行場確保を目的として進攻した。ヌンホル島には日本軍の飛行場があったが兵力は守備隊の歩兵第219連隊の1個大隊と航空関係部隊を合わせて約1,500名に過ぎなかった。上陸したのはアメリカ軍第158連隊戦闘団で、翌3日に第503空挺連隊も降下した。アメリカ軍は8月31日に完全制圧を発表、日本軍の生存者はわずか12名であった。 続いて7月30日、フィリピン奪還に向けてニューギニア北岸を西進していた連合軍の最後の上陸がマノクワリとソロンの中間のミオス島(双子島)と対岸のサンサポールで行われた。次のモロタイ島上陸作戦に向けた基地と飛行場を設営するためで、上陸したのはアメリカ軍第6師団であった。これに対し日本軍は若干の抵抗をなし得ただけで、マノクワリ-ソロン間は陸上、海上とも遮断された。1945年1月、ソロンの第35師団は部隊をサンサポールに派遣し2月から攻撃を開始した。しかし、すでにフィリピン上陸を果たしていたアメリカ軍にとってサンサポールの飛行場は無価値で積極的に防衛する意図はなく、飛行場を放棄した。日本軍も5月に作戦を打ち切り、監視部隊を残してソロンに撤収した。 詳細は「サンサポールの戦い」を参照
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