ヌヴェール集団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 06:05 UTC 版)
「1101年の十字軍」の記事における「ヌヴェール集団」の解説
ヌヴェール伯ギヨーム2世(Guillaume II de Nevers)率いる集団(約1万5千人)も南イタリアのバーリからアドリア海を渡って東ローマ領に入り、ロンバルディア人集団がニコメディアを出るころにコンスタンティノープルに到着した。十字軍が遠征途上のバルカン半島で略奪などのトラブルを起こすのはこれ以前も以後も通弊となっているが、彼らについては大過なくコンスタンティノープルに入っている。彼らは先行するロンバルディア人集団と何度も接近したが、合流や連携行動をとることはなかった。 ギヨームは北への寄り道はせず、南東へ進みイコニウムを攻撃したが陥落させることはできず、やむなく進撃を続けるがヘラクレア・シビストラ(Heraclea Cybistra、現在のコンヤ県エレーリ Ereğli)でクルチ・アルスラーン1世率いるルーム・セルジューク朝軍の奇襲を受けた。クルチ・アルスラーン1世はメルシヴァンでロンバルディア人集団を破ったあと、すぐに新たな軍勢を率いて南へ急行していたのだった。この戦いでヌヴェール集団はほぼ全滅した。
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