ニューヨーク - シカゴ間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 06:34 UTC 版)
「ペンシルバニア鉄道」の記事における「ニューヨーク - シカゴ間」の解説
ピッツバーグ - シカゴ間の路線建設は、オハイオ・アンド・ペンシルバニア鉄道、オハイオ・アンド・インディアナ鉄道、フォートウェイン・アンド・シカゴ鉄道により、1849年から工事がはじめられた。3社は1856年にピッツバーグ・フォートウェイン・アンド・シカゴ鉄道(英語版)に統合し、1859年1月1日にピッツバーグ - シカゴ間が全通した。ピッツバーグ・フォートウェイン・アンド・シカゴ鉄道が設立された時期からPRRの資本面での関与が強まり、1869年7月1日に公式に借り受けた。この借り受けにより、PRRは北部オハイオ州およびインディアナ州を経由して、当時発展しつつあった鉄道の拠点都市シカゴへ到る直接的な経路を支配下におさめた。しかし、1871年 - 1918年の間は持株会社のペンシルバニア・カンパニーによる間接的な支配であった。 1887年6月15日、ニューヨーク - シカゴ間に「ペンシルバニア特急」(Pennsylvania Limited) の運行を開始した。これは客車の端部を屋根で覆って列車全長にわたって安全に旅客が移動できるようにするベスティビュール(英語版)を初めて採用した列車でもあった。1902年にペンシルバニア特急はペンシルバニア・スペシャル (Pennsylvania Special) となり、これは1912年にブロードウェイ特急となって、PRR史上最も有名な列車となった。この列車はニューヨーク - シカゴ間をフィラデルフィア経由で運行し、またハリスバーグやワシントンD.C.への区間列車もあった。のちにワシントンD.C. - シカゴ間の列車は独立した「リバティ特急」(Liberty Limited) となった。
※この「ニューヨーク - シカゴ間」の解説は、「ペンシルバニア鉄道」の解説の一部です。
「ニューヨーク - シカゴ間」を含む「ペンシルバニア鉄道」の記事については、「ペンシルバニア鉄道」の概要を参照ください。
- ニューヨーク・シカゴ間のページへのリンク