ニコラス・オーウェン
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「聖職者の巣穴」の記事における「ニコラス・オーウェン」の解説
詳細は「ニコラス・オーウェン (イエズス会士)」を参照 このような隠れ場所はイエズス会の平修士(英語版)ニコラス・オーウェン(1606年没)が、迫害された司祭たちの生命を守るために人生の大半を捧げて作ったといわれている。 オーウェンは比類なきスキルで、司祭たちを地下道に沿って安全地帯に逃がす方法や、壁の間やそれ以上は進めない奥まった場所に隠す方法、迷路状や幾重にも曲がりくねった通路の中に隠し部屋を設ける方法などを熟知していた。さらに彼が長けていたのは、その出入口を偽装して、まったくそんな部屋があるとは思わせないようにすることであった。オーウェンはこれらの場所を完全に守秘し、他人に明かすことはなかった。彼のみが設計者であり、かつ建設者であった。彼がどれほどの数の隠し部屋を作ったかは不明であり、おそらく未だ発見されていないものもある。 他にも煙突(煙道)から派生させる形で作ることもあれば、羽目板の後ろに設けることも気に入った方法であった。この典型例がノース・ヨークシャーにあるリプリー城である。他にケンブリッジ近郊のチェスタートン・ホールのように、水洗便所の中に組み込まれたものもある。ウスターシャーのハーヴィントン・ホールは、大階段、羽目板の裏、偽の暖炉からの出入り口を含めた、7つの聖職者の巣穴が設けられた邸宅である。 火薬陰謀事件の後、オーウェン自身もウスターシャー州ヒンドリップ・ホールで捕まり、ロンドン塔に投獄され、拷問台による尋問を受けて亡くなった。1970年、教皇パウロ6世により殉教者として列聖された。
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