ドン・シュルジーとは? わかりやすく解説

ドン・シュルジー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 07:50 UTC 版)

ドン・シュルジー
Don Schulze
A級ケーンカウンティ・クーガーズでのコーチ時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ローゼル英語版
生年月日 (1962-09-27) 1962年9月27日(62歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
227 lb =約103 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 MLBドラフト1巡目(全体11位)でシカゴ・カブスから指名
初出場 MLB / 1983年9月13日
NPB / 1990年6月3日
最終出場 MLB / 1989年9月29日
NPB / 1992年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ドナルド・アーサー・シュルジーDonald Arthur "Don" Schulze, 1962年9月27日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ローゼル英語版出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

日本プロ野球での通算打率10割・通算長打率40割・通算OPS5.000という、稀有の記録を有する選手である。この記録は、長い日本プロ野球の歴史の中で、彼と塩瀬盛道東急)の2例しかない[1][2][注 1]

経歴

現役時代

1980年MLBドラフト1巡目(全体11位)でシカゴ・カブスから指名され、プロ入り。1983年メジャー初昇格。

1984年6月に3対3のトレードで、クリーブランド・インディアンスへ移籍した(交換相手にメル・ホールがいる)。その後はニューヨーク・メッツニューヨーク・ヤンキースと渡り歩き、1989年7月にマイク・パグリアルーロと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した。実働6年間で、先発を中心に通算76試合に登板し15勝25敗・防御率5.47を記録。

1990年オリックス・ブレーブスに入団。当時、ブーマー・ウェルズガイ・ホフマンが在籍していたため第3の外国人扱いだったが、ブーマーの故障で一軍に昇格した。140km/h台後半の重いストレートを投げることから主にリリーフで20試合に登板し、6勝4敗3セーブ、防御率2.58とまずまずの成績を残す。翌1991年もホフマンの不振により一軍に定着するものの、成績は24試合登板で3勝2敗7セーブ、防御率4.66と平凡だった。

日本でのキャリアのハイライトと言えるのが1991年5月29日に日生球場で行われた対近鉄バファローズ戦。先発した当時新人の長谷川滋利の後を受けて登板したシュルジーだったがリリーフに失敗し、長谷川のプロ初勝利を消してしまい試合は延長戦へ突入した。そして指名打者飯塚富司[3]が一塁守備に就いていたため11回表にシュルジーに打席が回ると、赤堀元之の初球を左翼スタンド後方の照明塔を直撃する超特大ソロ・来日初打席初本塁打を放ち、球場は騒然となった。そのままシュルジーはその裏を抑えて勝利投手になった。これによりパ・リーグで指名打者制を導入して以降、初めての投手による本塁打が記録された。その上シュルジーの日本での打席はこれ1回きりであったため、日本プロ野球での通算打率が10割、長打率40割という塩瀬盛道(1950年)以来の珍しい記録も誕生した[1][2]。しかし本人は日本でのその記録にあまり関心が無く、日本での思い出は「1年目のキャンプで体調を崩して入院した際に井箟重慶球団代表から送られたが神様からの贈り物のようにおいしかったこと」と語っている[4]。なお、メジャーリーグでの打撃成績は7打数0安打、マイナーリーグでの打撃成績は22打数1安打1本塁打である。

1992年は13試合の登板にとどまり、同年限りで退団した。その翌年の1993年ボルチモア・オリオールズ傘下(当時)のAAA級ロチェスター・レッドウイングスに加入し、39試合に登板して8勝5敗7セーブ、防御率4.10を記録した。

現役引退後

現役引退後の2006年からオークランド・アスレチックス傘下のマイナー球団(ルーキー級アリゾナリーグ・アスレチックス、AA級ミッドランド・ロックハウンズ[5]、A級ベロイト・スナッパーズ英語版[6]など)で投手コーチを歴任し、2021年から2024年まではA+級ランシング・ラグナッツで投手コーチを務めた[7]

2025年シーズンからはAAA級ラスベガス・アビエイターズで投手コーチ補佐を務める[8]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1983 CHC 4 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 67 14.0 19 1 7 0 1 8 1 0 11 11 7.07 1.86
1984 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 16 3.0 8 0 1 0 0 2 0 0 4 4 12.00 3.00
CLE 19 14 2 0 0 3 6 0 -- .333 380 85.2 105 9 27 0 0 39 5 2 53 46 4.83 1.54
'84計 20 15 2 0 0 3 6 0 -- .333 396 88.2 113 9 28 0 0 41 5 2 57 50 5.08 1.59
1985 19 18 1 0 0 4 10 0 -- .286 429 94.1 128 10 19 2 4 37 3 0 75 63 6.01 1.56
1986 19 13 1 0 0 4 4 0 -- .500 371 84.2 88 9 34 0 5 33 6 0 48 47 5.00 1.44
1987 NYM 5 4 0 0 0 1 2 0 -- .333 91 21.2 24 4 6 0 1 5 0 0 15 15 6.23 1.38
1989 NYY 2 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 49 11.0 12 1 5 0 1 5 0 0 5 5 4.09 1.55
SD 7 4 0 0 0 2 1 0 -- .667 118 24.1 38 6 6 0 0 15 1 0 20 15 5.55 1.81
'89計 9 6 0 0 0 3 2 0 -- .600 167 35.1 50 7 11 0 1 20 1 0 25 20 5.09 1.73
1990 オリックス 20 5 2 0 0 6 4 3 -- .600 286 69.2 65 3 17 1 5 32 1 2 24 20 2.58 1.18
1991 24 0 0 0 0 3 2 7 -- .600 161 36.2 41 1 13 2 3 24 1 0 23 19 4.66 1.47
1992 13 10 3 0 0 3 5 0 -- .375 383 85.0 84 10 51 0 2 56 0 1 40 33 3.49 1.59
MLB:6年 76 59 4 0 0 15 25 0 -- .375 1521 338.2 422 40 105 2 12 144 16 2 231 206 5.47 1.56
NPB:3年 57 15 5 0 0 12 11 10 -- .522 830 191.1 190 14 81 3 10 112 2 3 87 72 3.39 1.42

年度別打撃成績

















































O
P
S
1983 CHC 4 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 1 -- 0 1 0 .000 .500 .000 .500
1984 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 0 0 .--- .--- .--- .---
1987 NYM 5 4 2 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 -- 2 -- 0 2 0 .000 .500 .000 .500
1989 SD 7 4 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1991 オリックス 1 1 1 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 -- 0 -- 0 0 0 1.000 1.000 4.000 5.000
MLB:4年 17 10 7 2 0 0 0 0 0 1 0 0 0 -- 3 -- 0 6 0 .000 .300 .000 .300
NPB:1年 1 1 1 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 -- 0 -- 0 0 0 1.000 1.000 4.000 5.000

記録

NPB

背番号

  • 43(1983年 - 1984年途中)
  • 37(1984年途中 - 1986年)
  • 49(1987年)
  • 34(1989年)
  • 51(1989年)
  • 42(1990年 - 1992年)

脚注

出典

  1. ^ a b 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年6月30日号70-73ページ「記録の手帳」
  2. ^ a b 週刊野球太郎』編集部 (2014年4月4日). “これ以上ないデビュー プロ初打席初球本塁打は過去8人”. スポニチAnnex. オリジナルの2018年10月17日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/SrSqB 2018年10月17日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  3. ^ 指名打者として先発したのは石嶺和彦で、飯塚が代走として代わって指名打者になった。しかし、飯塚が守備に就いたため、公認野球規則6.10(b)の規定により指名打者が消滅し、投手のシュルジーが打席に立たなければならなくなった。
  4. ^ 「ホームランを知りつくす」(B.B.mook―スポーツ伝説シリーズ (169))、ベースボール・マガジン社、(2001年)143頁
  5. ^ ベースボールマガジン、2011年9月号 P87
  6. ^ Melissa Lockard (2017年12月5日). “ATHLETICS Changes abound for Oakland Athletics 2018 MiLB coaching staffs” (英語). OaklandClubhouse.com. http://oaklandclubhouse.com/changes-abound-oakland-athletics-2018-milb-coaching-staffs/ 2018年1月17日閲覧。 
  7. ^ Jesse Goldberg-Strassler (2020年12月15日). “A's announce High-A coaching staff”. Milb.com. 2021年4月24日閲覧。
  8. ^ A’s Announce Player Development Staff for 2025”. MLB.com (2025年2月6日). 2025年2月28日閲覧。

注釈

  1. ^ ただし、通算1安打で1本塁打という記録は竹村元雄広島)もしている〔竹村の場合は8試合11打数を記録している〕。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ダグ・ジェニングス  ギル・ホッジス  ドン・シュルジー  ホワイティー・フォード  チャド・ダービン
オリックス・ブルーウェーブ及びその前身球団の選手 ダグ・ジェニングス  中島俊哉  ドン・シュルジー  宇野輝幸  佐藤平七
ニューヨーク・ヤンキースの選手 ジャック・クラーク  ラッセル・マーティン  ドン・シュルジー  ホワイティー・フォード  デニー・ネーグル
ニューヨーク・メッツの選手 カリーム・ガルシア  ギル・ホッジス  ドン・シュルジー  ホセ・サンティアゴ  カルロス・バイエガ
クリーブランド・インディアンスの選手 ホイト・ウィルヘルム  秋信守  ドン・シュルジー  チャド・ダービン  ホセ・サンティアゴ
シカゴ・カブスの選手 チャド・ゴダーン  ダグ・ジェニングス  ドン・シュルジー  カイカイ・カイラー  デイヴ・ハンセン
サンディエゴ・パドレスの選手 ジャック・クラーク  リチャード・ランセロッティ  ドン・シュルジー  リック・ランセロッティ  カルロス・バイエガ

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