指名打者が守備に就いた場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:56 UTC 版)
「指名打者」の記事における「指名打者が守備に就いた場合」の解説
指名打者を守備に就かせることもできる。指名打者が守備位置に就いたときは、それ以後指名打者の役割は消滅(野球規則5.11(a)(12) )する。このケースは俗に「DH解除」と呼ばれている。 指名打者が消滅し投手が打順表に入る場合の打順は、原則として投手が退いた守備者の打順を引き継ぐ。ただし、(退いた守備者を含めて)同時に2人以上の交代が行われた場合、新たに守備に就く選手の打順は監督が指定する(どの打順に組み込んでもよい)(野球規則5.11(a)(5) )。 1991年5月29日、近鉄バファローズ対オリックス・ブルーウェーブ戦 オリックスの5番DHで起用された石嶺和彦に飯塚富司が代走として出されて飯塚はDHとなった。飯塚を守備に就けるため、その裏から登板したドン・シュルジーが退いた佐藤和弘の打順6番を引き継いだ。延長戦突入後の11回に打席に入ったシュルジーは決勝本塁打を放った。指名打者制の導入後、パ・リーグの投手が打った初めての本塁打であった。 2014年8月16日、埼玉西武ライオンズ対北海道日本ハムファイターズ戦 10回表の攻撃において4番・レフトで出場していた日本ハムの中田翔が走塁中に左足首を負傷し、選手交代の必要が発生したが、その時点で日本ハムは控え野手を使い切っていたため、栗山英樹監督は指名打者の杉谷拳士をレフトの守備に就かせ、中田の打順である4番に投手の増井浩俊を入れた。なお、増井は延長11回表の二死満塁で打席に立ち、凡退している。
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