ドラマーおよびアレンジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:29 UTC 版)
「プリーズ・プリーズ・ミー (曲)」の記事における「ドラマーおよびアレンジ」の解説
1995年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』に、1962年9月11日に録音された音源が収録されているが、マーティンが回想しているスローテンポのアレンジではなく、リメイク後のテンポが上げられたアレンジとなっている。この日のテイクは、1994年のアンソロジー制作中に再発見されるまで、破棄されたと考えられていた。ジョン・C・ウィンは、「アンディ・ホワイトがドラムを叩いた」と述べている。ルイソンは、『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』のライナーノーツでこの点について触れていないが、1988年に出版した『The Beatles Recording Sessions』で、レコーディング・エンジニアのロン・リチャーズの「その日のセッションでは、リンゴはドラムを演奏していない」という言葉を引用している。一方で、1966年に発売の『リボルバー』よりレコーディング・エンジニアを担当したジェフ・エメリックは「アンディ・ホワイトが帰った後に、ロード・マネージャーのマル・エヴァンズがリンゴのドラムをセットして、リンゴがドラムを演奏しているのを目撃した」としている。9月11日に録音されたアップテンポのアレンジが再発見されたことにより、オービソンの影響を受けたスローテンポのアレンジがいつマーティンのために演奏されたのか、またそのアレンジが録音されたテープがアビー・ロード・スタジオの保管庫に現存するのかという疑問が生じたが、ルイソンが1988年にマーティンから聞いた「当時(1962年)はアウトテイクを保管していなかった」という言葉と矛盾していることとなった。なお、ウィンは、マーティンがテンポを変更する前のアレンジを聴いた日時について、「1962年9月4日のセッションのリハーサル・ウォームアップ時」としている。 ホワイトは、2012年のインタビューで、「当時のリンゴのドラムセットとはまったく違う音だから、ドラムの音を聴けば僕が叩いたことがわかるよ。これは、彼がラディックのドラムセットを手に入れる前のことだった。ドラムのチューニングの仕方、叩き方で音が異なってくるんだ」と語っている。しかし、ホワイトは9月11日のセッションのために雇われたものの、11月26日の最終レコーディング時は参加していなかった。11月26日に録音されたテイクでは、レノンのハーモニカが大々的にフィーチャーされており、「ラヴ・ミー・ドゥ」や「フロム・ミー・トゥ・ユー」をはじめとしたビートルズの初期の楽曲と同じく、曲のイントロを飾っている。レノンとマッカートニーは、当初マッカートニーが高音パートをキープし、レノンが音階を下げたパートとボーカルを分担していたが、これはエヴァリー・ブラザーズが1960年4月に発表した「キャシーズ・クラウン」から学んだ戦略である。これについてマッカートニーは、「旋律がそこから滝のように落ちてくる間、高音に留まるというトリックをやったんだ」と語っている。
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