ドイツの慰安婦問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:29 UTC 版)
2005年1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組「戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春 (Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution)」では、ドイツ軍が1904年、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、後にはポーランドやウクライナの女学校の生徒を連行し、慰安婦にしたことを報じた。 ドイツ政府は「人道に対する罪に時効はない」と宣言し、様々な戦後補償を行なっているが、当時のドイツ軍による管理売春・慰安所・慰安婦問題はそうした補償の対象とはされてこなかった。しかし、日本軍慰安婦問題がきっかけとなり、検討されるようになった。また秦郁彦が1992年に日本の雑誌『諸君!』 で紹介したフランツ・ザイトラー『売春・同性愛・自己毀損 ドイツ衛生指導の諸問題1939-1945』 はドイツでも知られていなかったため、当時来日していたドイツ人の運動家モニカ・ビンゲンはドイツに帰国してこの問題に取り組むと語った。しかし、2015年2月現在ドイツ政府は国防軍の元慰安婦に対する謝罪を行っていない。 「ドイツの歴史認識」も参照
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