トレイシー捕虜尋問所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:30 UTC 版)
「エンジェル島収容所」の記事における「トレイシー捕虜尋問所」の解説
アメリカ本土の収容所に送られた5,000人余りの捕虜のうち、特に選別された2,342名の捕虜がトレイシーに移送され尋問を受けている。エンジェル島から東南70kmの小高い丘に囲まれたトレイシーのバイロン・ホット・スプリングス、通称「私書箱651、カリフォルニア州トレーシー」は、1930年代に天然の硫黄泉と泥風呂でクラーク・ゲーブルやチャーリー・チャップリンなどの有名人やアスリートを魅了したリゾート地であったが、1940年代には米軍にリースされ陸軍の極秘捕虜尋問所として改造された。 長らく世に知られることがなかったが、2007年、NHKの詳細な調査によるスクープ・ドキュメンタリー「秘密尋問所トレイシー~日本人捕虜が語った機密情報~」が放映され、海外でも紹介された。2004年のアブグレイル収容所の虐待スキャンダル後の処理にも関わった軍諜報員のアレックス・コービンが、イラクに対して用いられた厳しい強制尋問戦略とは全く異なり、敵国の重要な情報を収集するために第二次世界大戦中に米国が用いた捕虜尋問戦略とその記録を調査し2009年に出版した。そのソフト戦術には、日本人シェフによる「家庭料理」、捕虜がリゾートの温泉や泥風呂を使用できるようにすること、建物全体に盗聴装置を配置し、捕虜を2人部屋に収容する。ときどき捕虜を入れ替えながら会話を誘発し、地下で会話を記録することも含まれていた。
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