トヨタ自動車本社工場
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トヨタ自動車本社工場(トヨタじどうしゃほんしゃこうじょう)は、愛知県豊田市トヨタ町1番地に所在するトヨタ自動車の工場である。
概要
1938年11月3日に旧挙母町(現・豊田市)において挙母工場として操業を開始し、トヨタ自動車の創業工場として知られる[1]。
- 所在地: 〒471-8571 愛知県豊田市トヨタ町1番地[2]
- 操業開始: 1938年(昭和13年)11月3日[3]
- 敷地面積: 55万m²[3]
- 事業内容: 鍛造部品、ハイブリッド用部品、燃料電池(FC)部品、シャシー部品の製造[2]
歴史
創業期
1933年、豊田喜一郎は豊田自動織機製作所に自動車部を設立。中村寿一挙母町長に斡旋を依頼し、町議会に工場誘致委員会が発足すると交渉を進め、1935年、原野だった論地ヶ原(ろんちがはら、別名・末野ヶ原、旧・挙母町大字下市場字前山、現・トヨタ町)を工業用地として買収した[4][5][6]。
用地選定理由は、広大な土地が低廉で、三河鉄道による資材輸送が可能かつ、矢作川の伏流水と水力発電を利用可能で[7]、また、土橋の衣ヶ原飛行場(八事の起業家熊崎惣二郎(朗)が山林を整備して1936年に完成した民間飛行場)が航空機事業に適していたことが挙げられる[7][8][9]。
喜一郎から工場建設の命を受けた菅隆俊が設計責任者となり[10][4]、齋藤尚一、豊田英二と原案を検討して、1937年に工場全体の計画図を作成[4]。1938年に月産2,000台規模の一貫生産工場として完成し、竣工日がトヨタ自動車の創立記念日となった[11][10][4]。1939年よりトヨタ・GB型トラックの生産を開始[3]。
戦後から現代
- 1951年: ランドクルーザー生産開始[3]。
- 1960年: 元町工場の完成及び挙母市が豊田市に改称したことに対応し、挙母工場から本社工場に改称[3][12]。
- 1997年: 世界初の量産ハイブリッド部品(プリウス用トランスアクスル)を生産開始[3]。
- 2020年代: 燃料電池車(FCV)部品の生産拠点として機能[2]。
生産品目
現行
過去の主要車種
技術的特徴
脚注
- ^ “「日本人の頭と腕で自動車をつくる」トヨタ本社工場 挑戦の歴史”. トヨタタイムズ. 2023年10月15日閲覧。
- ^ a b c “統括会社・生産拠点”. トヨタ自動車. 2023年10月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “トヨタ自動車75年史 本社工場”. トヨタ自動車. 2023年10月15日閲覧。
- ^ a b c d “挙母工場の用地選定と建設計画”. トヨタ自動車. 2023年10月15日閲覧。
- ^ “<故郷のこと>”. 立命館大学. 2023年10月15日閲覧。
- ^ “地名の由来”. 株式会社葵コンサルティング. 2023年10月15日閲覧。
- ^ a b “トヨタ本社工場の立地選定理由”. 国立国会図書館. 2023年10月15日閲覧。
- ^ “とよたたんきゅうラボ”. 豊田市. 2023年10月15日閲覧。
- ^ “トヨタ自動車の創立期に見る挙母工場の立地地図(Ⅲ) : 工業用水と河川水系を中心に”. 東海学園大学. 2023年10月15日閲覧。
- ^ a b “量産へ一歩前進-日本初の乗用車一貫製造工場が完成”. トヨタ自動車. 2023年10月15日閲覧。
- ^ “第4節 自動車部組立工場と挙母工場の建設 第3項 トヨタ自動車工業株式会社の設立と挙母工場の建設”. トヨタ自動車. 2023年10月15日閲覧。
- ^ “第1節 元町工場の建設とTQCの導入 第1項 乗用車専門工場―元町工場の建設”. トヨタ自動車. 2023年10月15日閲覧。
- ^ a b c d “このクルマはどこでつくってる? 車種で異なる工場”. GAZOO (2016年9月8日). 2023年10月15日閲覧。
- ^ “常識破り「倉庫なくせ」”. 中日新聞. (2014年7月24日) 2023年10月15日閲覧。
関連項目
外部リンク
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