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菅隆俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 13:30 UTC 版)

菅 隆俊(かん たかとし、1886年 - 1961年)は、日本自動車技術者トヨタ自動車工業取締役設計部長を経て、豊田工機社長を務めた。紫綬褒章受章。

人物・経歴

香川県出身[1]。1914年東京高等工業学校(のちの東京科学大学機械科卒業[2]。1916年住友私立職工養成所(のちの住友工業高等学校)仕上・旋工・鍛工場主任。1920年に豊田佐吉の豊田式織機に転じる[3]

1933年に豊田喜一郎により豊田自動織機製作所に招聘される。1934年には自動車量産化のためアメリカ合衆国で調査を行い[4]、挙母工場(のちのトヨタ自動車本社工場)の設計責任者を務め[5][6]岩岡次郎豊田英二齋藤尚一と建設構想にあたった[7]

1937年にトヨタ自動車工業が設立されると、同社取締役設計部長に就任。1941年に工機工場が豊田工機として分離されると、同社常務取締役に就任[3]。1945年から同社社長を務めた[8]。1957年には工作機械の改良研究などが評価され紫綬褒章を受章した[9]

著書

  • 『自動車工業用工作機械に就ての一考察』自動車技術協会 1942年
  • 『今日及び将来の工作機械 : ユニット構成機械』機械製作資料社 1944年
  • 『トヨタ自動車工業株式会社挙母工場の建設』1959年

脚注

  1. ^ 東京高等工業学校一覧 大正7-8年
  2. ^ 木本正次『トヨタの経営精神: 豊田佐吉から昭和の歴代経営者まで、「挑戦の軌跡」に学ぶ』137頁
  3. ^ a b 沢井実「戦前・戦中期大阪の工業各種学校」『大阪大学経済学』第57巻第1号、大阪大学経済学会、2007年6月、1-20頁、doi:10.18910/17873hdl:11094/17873ISSN 04734548NAID 120004850235CRID 1390572174760817792 
  4. ^ 「第2節 自動車試作 第2項 試作工場、製鋼所の建設トヨタ自動車75年史
  5. ^ 第3部(2)常識破り「倉庫なくせ」【ものづくりの源流】中部経済新聞2014年7月24日 05:00
  6. ^ 大矢佳之「トヨタ自動車の創立期に見る挙母工場の立地地図(Ⅰ) : 工業用水と河川水系を中心に」『東海学園大学研究紀要 : 経済・経営学研究編』第15巻、東海学園大学、2010年3月、29-52頁、hdl:11334/219ISSN 1349-1601CRID 1050001337545670656 
  7. ^ 量産へ一歩前進-日本初の乗用車一貫製造工場が完成-トヨタ産業技術記念館
  8. ^ 豊田工機(株)『豊田工機二十年』(1961.05)渋沢社史データベース
  9. ^ 官報昭和32年本紙第9243号 340頁


先代
豊田利三郎
豊田工機社長
1945年 - 1954年
次代
木村柳太郎



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