デジレ・デフォーとは? わかりやすく解説

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デジレ・デフォー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 04:38 UTC 版)

デジレ・デフォーDésiré Defauw, 1885年9月5日 - 1960年7月25日)は、ベルギー出身の指揮者ヴァイオリニスト作曲家である[1][2][3][註 1]ロンドンとベルギーで活動したのちアメリカ大陸へとわたり、シカゴ交響楽団、モントリオール交響楽協会、ゲーリー交響楽団などの指揮者を務めた[1]。日本語ではデジレ・ドゥフォー[6][7]デジレ・デュフォー[8]とも記される。


注釈

  1. ^ 1939年9月29日付の『ニューヨーク・タイムズ』では "Désiré de Fauw", "Mr. deFauw" と記されているが[4]、その後の同誌記事では "Defauw" 表記となっている[5]
  2. ^ デフォーは1910年にロンドン交響楽団を指揮してデビューを果たしたとする資料もある[1][7]
  3. ^ アリード・カルテットの結成は1913年とする資料もある[5]
  4. ^ デフォーがブリュッセル王立音楽院管弦楽団の指揮者を務めた期間について「1926年から1940年」とする資料もある[1][7]
  5. ^ デフォーがブリュッセル王立音楽院で教鞭をとった期間について「1926年から1940年」とする資料もある[2]
  6. ^ ブリュッセル王立音楽院管弦楽団とは以下の曲を録音している[15][16]
    アレクサンドル・グラズノフ『5つのノヴェレッテ』より "Interludium in modo antico: Andante"
    セルゲイ・プロコフィエフ三つのオレンジへの恋』より行進曲
    セザール・フランクプシシェ』よりプシシェとエロス
    ・アレクサンドル・グラズノフ『ステンカ・ラージン
    ヨハン・ゼバスティアン・バッハ管弦楽組曲第3番
    オットリーノ・レスピーギ『鳥』
  7. ^ ベルギー国立管弦楽団の設立年について、1936年とする資料もある[17]
  8. ^ アーロン・コープランドは、音楽評論家のミンナ・リーダーマン英語版に宛てた1944年の手紙にて、ブリュッセルに良い音楽家がいるかデフォーに尋ねると良いと記している[19][20]
  9. ^ デフォーがNBC交響楽団を指揮したのは1938年とする資料もある[2][7]
  10. ^ 1939年のNBC交響楽団客演時に行われた『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューにおいて、デフォーは「トスカニーニとは夏に会ったが『君はあのオーケストラを楽しむだろうね』と言ってくれた」と述べたほか、当時の国際情勢について「もしドイツに侵略されるようなことがあれば、オランダとベルギーはともに立ち上がるはずだ」「ヨーロッパは病んでおり、回復しなくてはならない。アメリカの力を借りれば物事は改善するかもしれない」と述べている[23]
  11. ^ 避難に用いた2台の車のうち、片方の車は、銃撃によって天井が破壊されてしまった[10]
  12. ^ デフォーの息子については "Jean" とする資料と[18]、"John" とする資料がある[5][45]
  13. ^ プロコフィエフは知人に宛てた手紙に「デフォーがヴィッサリオン・シェバリーンの交響曲第2番を指揮してくれる」と記しているが、結局実現しなかった[50]
  14. ^ レスピーギについては、第二次世界大戦中の1943年9月にイタリアが連合国に加盟して以降、アメリカでその作品が演奏する機会が増えたが、デフォーもシカゴ交響楽団の1943年〜1944年シーズンにレスピーギの作品を4作取り上げており、スポットライトを当てたと評された[51]
  15. ^ デフォーはアメリカの作曲家の作品を取り上げることにも関心を抱いており、1945年のインタビューにてアメリカ音楽のフェスティバルを計画していると語っている[58]
  16. ^ マニュエル・ロザンタルによると、ラヴェルはデフォーに手紙を書くとき「親愛なる友 (Mon cher ami) 」と書き始めるか「ムッシュ・デフォー (Monsieur Defauw) 」と書き始めるか、はたまた「拝啓 (Cher Monsieur) 」と書き始めるかで40分以上悩んでいたという[61]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Jacobs 2001.
  2. ^ a b c d e 齋藤 2010, p. 197.
  3. ^ a b c The Musical Times 1908, p. 40.
  4. ^ a b New York Times 1939a.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p New York Times 1960, p. 30.
  6. ^ 三浦 1984, p. 82.
  7. ^ a b c d e f g h 演奏家大事典 1982, p. 349.
  8. ^ 上地 2015, p. 14.
  9. ^ a b c d e f g h International Musician 1953, p. 17.
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n Johns 1943, p. 1.
  11. ^ a b Désiré Defauw” (英語). Chicago Symphony Orchestra. 2022年4月9日閲覧。
  12. ^ a b Baker's Biographical Dictionary of Musicians 2001, p. 827.
  13. ^ Whiteley 2001.
  14. ^ a b Holroyd 2011, p. 80.
  15. ^ Columbia Phonograph Company 1931.
  16. ^ McNaught 1936, p. 31.
  17. ^ a b Wangermée 2001.
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w Parmenter 1940, p. X7.
  19. ^ Copland 2008, p. 167.
  20. ^ Copland 2008, p. 168.
  21. ^ Fairclough 2016, p. 116.
  22. ^ Fairclough 2016, p. 117.
  23. ^ New York Times 1939b, p. 34.
  24. ^ a b Potvin 2019, p. 146.
  25. ^ a b von Rhein et al. 2001.
  26. ^ a b McLean 2001.
  27. ^ a b c Creative Canada 2017b, p. 43.
  28. ^ a b c Andrée 2019, p. 108.
  29. ^ a b Creative Canada 2017a, p. 240.
  30. ^ a b Creative Canada 2017a, p. 241.
  31. ^ Roberts 2019, p. 205.
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  33. ^ a b Weaver 1943, p. 15.
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  35. ^ a b c Johns 1943, p. 24.
  36. ^ International Musician 1943, p. 5.
  37. ^ Barry 1947, p. 27.
  38. ^ a b 上地 1989, p. 23.
  39. ^ Merriam Webster's Biographical Dictionary 1995.
  40. ^ Henahan 1958, p. 8.
  41. ^ A look at Grand Rapids Symphony's Music Directors through the years, 1930 to 1973” (英語). Grand Rapids Symphony. 2022年4月9日閲覧。
  42. ^ Music Educators Journal 1955, p. 14.
  43. ^ Doran 1956, p. 55.
  44. ^ The Musical Times 1960, p. 648.
  45. ^ Chicago Tribune 2004, p. 7.
  46. ^ Hawkes 1945, p. 13.
  47. ^ McC 1945, p. 11.
  48. ^ Tempo 1945, p. 14.
  49. ^ Tempo 1945, p. 15.
  50. ^ Kravetz, Morrison 2018, p. 197.
  51. ^ Barrow 2011, p. 85.
  52. ^ Taylor 1944, p. 9.
  53. ^ Bax 1951, p. 125.
  54. ^ Ernest John Moeran”. Chandos Records. 2022年9月23日閲覧。
  55. ^ Tempo 1941, p. 8.
  56. ^ Tempo 1944, p. 18.
  57. ^ Peppercorn 1984, p. 31.
  58. ^ Borowski 1945, p. 55.
  59. ^ Kravetz, Morrison 2018, p. 372.
  60. ^ a b Philip 2004, p. 164.
  61. ^ Adams 2012, p. 351.
  62. ^ Hailey 2010, p. 18.
  63. ^ Chadwick 1985, p. 46.
  64. ^ Chadwick 1985, p. 58.
  65. ^ Weaver 1944, p. 14.
  66. ^ Willis 2001.
  67. ^ 上地 1989, p. 22.
  68. ^ a b ハート 1984, p. 162.
  69. ^ Barry 1945, p. 11.
  70. ^ Borowski 1945, p. 52.
  71. ^ Quint 1944, p. 11.
  72. ^ Robinson 1944, p. 26.
  73. ^ a b c The McGill Daily 1941, p. 2.


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