デイモン・スタウダマイアー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 09:29 UTC 版)
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2021年のスタウダマイアー
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ジョージアテック・イエロージャケッツ HC | |||||||||||||||||||||
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役職 | ヘッドコーチ | ||||||||||||||||||||
所属リーグ | ACC | ||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||
愛称 | Mighty Mouse | ||||||||||||||||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1973年9月3日(51歳) | ||||||||||||||||||||
出身地 | ![]() |
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身長(現役時) | 178cm (5 ft 10 in) | ||||||||||||||||||||
体重(現役時) | 78kg (172 lb) | ||||||||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||||||||
高校 | ウッドロー・ウィルソン高等学校 | ||||||||||||||||||||
大学 | アリゾナ大学 | ||||||||||||||||||||
NBAドラフト | 1995年 / 1巡目 / 全体7位[1] | ||||||||||||||||||||
トロント・ラプターズから指名
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プロ選手期間 | 1995年–2008年 | ||||||||||||||||||||
ポジション | PG | ||||||||||||||||||||
シュート | 左 | ||||||||||||||||||||
背番号歴 | 20, 3 | ||||||||||||||||||||
指導者期間 | 2009年–現在 | ||||||||||||||||||||
選手経歴 | |||||||||||||||||||||
1995-1998 1998-2005 2005-2008 2008 |
トロント・ラプターズ ポートランド・トレイルブレイザーズ メンフィス・グリズリーズ サンアントニオ・スパーズ |
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指導者経歴 | |||||||||||||||||||||
2008-2009 2009-2011 2011-2013 2013-2015 2015-2016 2016-2021 2021-2023 2023- |
ライス大学 (選手育成) メンフィス大学 (AC) メンフィス・グリズリーズ (AC) アリゾナ大学 (AC) メンフィス大学 (AC) パシフィック大学 ボストン・セルティックス (AC) ジョージア工科大学 |
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受賞歴 | |||||||||||||||||||||
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Stats Basketball-Reference.com
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代表歴 | |||||||||||||||||||||
キャップ | ![]() |
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デイモン・ラモン・スタウダマイアー(Damon Lamon Stoudamire、1973年9月3日 - )は、アメリカ合衆国・オレゴン州ポートランド出身の元プロバスケットボール選手、指導者。NBAで13シーズンプレーした。ポジションはポイントガード。178cm、78kg。元NBAプレーヤーのサリム・スタウダマイアー、ヒューストン・ロケッツなどに所属していたテレンス・ジョーンズ[1]は従兄弟にあたる。
経歴
生い立ち
スタウダマイアーは未婚の両親のもとで生まれ、父方の祖母のもとで育てられた。祖母はデーモンが高校生のときに他界するが、彼の腕には祖母の住所と名前が入ったタトゥーが彫られている。父親のウィリーはデーモンが7歳の頃にミルウォーキーに移り、その後は叔父2人が父親代わりになる。叔父のチャールズはデーモンのバスケットボールのコーチとして叔父のアンソニーはフットボールのコーチとしてデーモンを育て上げた。高校はウッドロー・ウィルソン高校に進学。スタウダマイアー擁する同校はオレゴン州屈指の強豪となり、彼の在学中74勝4敗を記録し2度の州チャンピオンになった。デーモン自身はその間26.1得点9.2アシストのアベレージを残し、2度のオレゴン州の年間最優秀選手と、コンバース選出のオールアメリカンに選ばれた。
大学時代
大学はアリゾナ大学でプレイ。2年目の1992-93シーズンからは3年連続でオールPac-10チームに選出され、94-95シーズンには平均22.8得点、7.3アシストをあげて、ジョン・ウッデン賞の最終候補にもなった。チームは1993年と1994年のPac-10タイトルを制し、1994年のNCAAトーナメントではFinal4まで進出した[2]。在学通算1800得点、600アシスト、400リバウンド以上は、Pac-10出身の選手としては、ゲイリー・ペイトン以来の快挙であった。大学での選手登録期間満了(4年)後、1995年のNBAドラフトにエントリーした。
ドラフト前のスカウティングレポートでは、すばらしい能力を持っているが、5フィート10インチと背が低いことが問題だと評価された。アトランタ・ホークスの副社長からは、背が低い選手は非常に良いものがないといけないが、スタウダマイアーにはそれがないと言われた[3]。
NBA時代
NBAは1995年のオフシーズンにトロント・ラプターズとバンクーバー・グリズリーズを新たに創設した。
ラプターズの初代ゼネラルマネージャーは、アイザイア・トーマスであり、彼はポイントガードを補強することを望んでいた[3]。この年のNBAドラフトはカナダのトロントで開催され、地元ファンはラプターズがUCLA出身のスモールフォワード、エド・オバノンを指名することを望んだが、ラプターズは1巡目7位指名権をデイモン・スタウダマイアーに使った。スタウダマイアーの名前が読み上げられた瞬間はドラフト会場内にブーイングが起こったほどであった。ドラフト全体7位での指名は、ドラフトロッタリー制度が導入された1985年のNBAドラフト以降、6フィート以下の身長の選手としては最高位であった[3]。
スタウダマイアーのルーキーシーズンは、地元ファンの予想を良い意味で大きく裏切るシーズンとなった。身長178cmとNBA選手としては極めて小さい身体ながら、抜群のスピードとクイックネスを武器に得点とアシストを量産し、95-96シーズンは19.0得点、9.3アシストのアベレージを残し、NBA史上最も身長の低い新人王獲得選手となった[3]。ちなみにエド・オバノンは9位指名でニュージャージー・ネッツに入団するが、目だった活躍をすることなく1997年にNBAを離れた。スタウダマイアーと同じく1年目のラプターズは新設チームだけあって、21勝61敗と大きく負け越した。一方でこのシーズン、マイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズは72勝というNBA史上最高勝率を記録しリーグを席巻していたが、ラプターズは僅か10敗しかしなかったこのブルズから、貴重な1勝をもぎ取っており、この試合でスタウダマイアーは30得点、11アシストと活躍した。2年目には平均20得点を突破し、翌97-98シーズンも平均19.4得点、8.1アシストという高い数字を維持するが、チーム成績は一向に向上する気配を見せず、このシーズン中にポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされた[3]。
ブレイザーズでは7シーズンプレーし、プレーオフに5回出場、カンファレンスファイナルに2度進出した[3]。
選手層の厚いブレイザーズでは先発の座は確保したものの出場時間は減少したため、個人スタッツは全体的に後退し、98-99シーズンは12.6得点、6.2アシストとやや平凡な数字に終わった。1999-2000シーズンにはゲームメイクもできる名ポイントフォワードのスコッティ・ピッペンが移籍してきたため、スタウダマイアーのスタッツはさらに後退したものの、選手層にさらに厚みを増したブレイザーズはリーグでも屈指の強豪チームへと成長し、プレイオフではカンファレンスファイナルまで進出。当時はロサンゼルス・レイカーズが3連覇を達成するなど、リーグを席巻していたが、ブレイザーズはレイカーズのライバルチームの1つとしてその時代を彩り、スタウダマイアーも先発PGとして重要な役割を果たした。しかしレイカーズ時代が終焉を迎えるとともに西の強豪ブレイザーズの内部でも暗雲が垂れ込め始めた。
端を発したのはスタウダマイアーの自動車運転中のスピード違反であった。この時スタウダマイアーの所持物のなかにマリファナが見つかり逮捕されると、さらにチームメイトのラシード・ウォーレス、キンテル・ウッズがマリファナ所持で相次いで逮捕され、さらにはウォーレスとルーベン・パターソンが練習中に乱闘を演じるなど不祥事が絶えず、「ジェイル(監獄)・ブレイザーズ」と揶揄されるまでになった[4]。混沌とした02-03シーズンを送ったスタウダマイアーは、6.9得点、3.5アシストとプレイでも過去最低の数字を弾き出した。翌03-04シーズンには13.4得点、6.1アシストと復調したが、チーム戦績は低下する一方でこのシーズンにはついに5割となり、プレイオフ出場も逃した。04-05シーズンには27勝55敗にまで成績が落ち込み、不動の先発PGであったスタウダマイアーも8シーズン過ごしたブレイザーズをついに離れることになったが、ブレイザーズでのラストシーズンとなったこの年、スタウダマイアーは2つの記録を樹立した。まずは2005年1月14日のニューオリンズ・ホーネッツ戦でキャリアハイとなる54得点をあげ、ブレイザーズのフランチャイズ記録となった[5]。さらに4月15日には1試合だけでスリーポイントシュート21本を放ち、当時の1試合最多スリーポイントシュート試投数のNBA記録を作った(21本中5本成功)。
2005年の夏にフリーエージェントとなったスタウダマイアーに幾つかのチームが興味を示したが、最終的に同時にトレードに出されるジェイソン・ウィリアムスの後釜として獲得を希望したメンフィス・グリズリーズに移籍した。新天地での最初のシーズンとなった05-06シーズンは、12月30日の古巣ブレイザーズ戦で右膝の腱を断裂するという大怪我を負い、残りのシーズンを棒に振る事態となった。翌06-07シーズンはチャッキー・アトキンスと出場時間を分け合ったため、平均得点は2桁を下回った。
07-08シーズン、新人のマイク・コンリー・ジュニアの活躍もあり、12月30日まで試合出場がなかった。2008年1月28日、グリズリーズを解雇された[6]。同年2月3日、サンアントニオ・スパーズと契約を結んだ[5]。2008年シーズンでは同じポジションのトニー・パーカーが好調なこともありほとんど出番なし。オフにも完全FAとなるが、チームと再契約することはできなかった。
08-09シーズン開幕前、ヒューストン・ロケッツのトライアウトに参加したが契約に至らず、現役を引退した[3]。
現役引退後
2008年12月、ライス大学のアシスタントコーチに就任。2009年2月、メンフィス・グリズリーズのライオネル・ホリンズヘッドコーチのもとで、ヘンリー・ビビーとともにアシスタントコーチに就任した[7]。
2011年5月、メンフィス大学のコーチングスタッフに加わった[2]。
2013年5月、メンフィス大学を離れ、アリゾナ大学のコーチングスタッフに加わった。
2015年5月、アリゾナ大学を離れ、メンフィス大学のコーチングスタッフに再度加わった。
2016年3月、再度メンフィス大学を離れ、パシフィック大学のヘッドコーチに就任。2021年7月からはボストン・セルティックスのアシスタントコーチとして約2年在籍。
2023年3月13日、ジョージア工科大学のヘッドコーチ職に就任が決定した。
個人成績
略称説明 | |||||
---|---|---|---|---|---|
GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
リーグリーダー |
NBA
レギュラーシーズン
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995–96 | TOR | 70 | 70 | 40.9 | .426 | .395 | .797 | 4.0 | 9.3 | 1.4 | .3 | 19.0 |
1996–97 | 81 | 81 | 40.9 | .401 | .355 | .823 | 4.1 | 8.8 | 1.5 | .2 | 20.2 | |
1997–98 | 49 | 49 | 41.5 | .425 | .317 | .844 | 4.4 | 8.1 | 1.6 | .1 | 19.4 | |
POR | 22 | 22 | 36.6 | .364 | .263 | .787 | 3.7 | 8.2 | 1.5 | .1 | 12.4 | |
1998–99 | 50* | 50* | 33.5 | .396 | .310 | .730 | 3.3 | 6.2 | 1.0 | .1 | 12.6 | |
1999–00 | 78 | 78 | 30.4 | .432 | .377 | .841 | 3.1 | 5.2 | 1.0 | .0 | 12.5 | |
2000–01 | 82 | 82 | 32.4 | .434 | .374 | .831 | 3.7 | 5.7 | 1.3 | .1 | 13.0 | |
2001–02 | 75 | 71 | 37.3 | .402 | .353 | .888 | 3.9 | 6.5 | .9 | .1 | 13.5 | |
2002–03 | 59 | 27 | 22.3 | .376 | .386 | .791 | 2.6 | 3.5 | .7 | .1 | 6.9 | |
2003–04 | 82 | 82 | 38.0 | .401 | .365 | .876 | 3.8 | 6.1 | 1.2 | .1 | 13.4 | |
2004–05 | 81 | 70 | 34.1 | .392 | .369 | .915 | 3.8 | 5.7 | 1.1 | .0 | 15.8 | |
2005–06 | MEM | 27 | 27 | 31.9 | .397 | .346 | .855 | 3.5 | 4.7 | .7 | .0 | 11.7 |
2006–07 | 62 | 51 | 24.2 | .391 | .337 | .795 | 2.2 | 4.8 | .8 | .0 | 7.5 | |
2007–08 | 29 | 29 | 21.5 | .397 | .383 | .808 | 2.4 | 3.9 | .7 | .0 | 7.3 | |
SAS | 31 | 4 | 13.3 | .301 | .255 | .750 | 1.5 | 1.7 | .4 | .1 | 3.4 | |
通算 | 878 | 793 | 33.2 | .406 | .357 | .833 | 3.5 | 6.1 | 1.1 | .1 | 13.4 |
プレーオフ
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | POR | 4 | 4 | 41.5 | .397 | .364 | 1.000 | 4.3 | 9.5 | 1.3 | .3 | 17.8 |
1999 | 13 | 13 | 31.0 | .380 | .455 | .706 | 3.2 | 5.6 | .6 | .1 | 10.2 | |
2000 | 16 | 16 | 27.9 | .415 | .333 | .833 | 2.6 | 3.6 | .5 | .3 | 8.9 | |
2001 | 3 | 3 | 38.0 | .413 | .154 | 1.000 | 3.0 | 4.3 | .7 | .3 | 17.7 | |
2002 | 3 | 3 | 33.0 | .227 | .750 | .667 | 2.3 | 3.3 | .7 | .0 | 5.0 | |
2003 | 7 | 6 | 33.1 | .456 | .484 | .952 | 5.1 | 5.6 | .9 | .3 | 15.3 | |
2008 | SAS | 7 | 0 | 5.0 | .333 | .250 | .667 | 1.0 | .3 | .1 | .0 | 1.9 |
通算 | 53 | 45 | 28.2 | .399 | .389 | .847 | 3.0 | 4.4 | .6 | .2 | 10.1 |
カレッジ
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991–92 | アリゾナ | 30 | 0 | 18.0 | .455 | .406 | .771 | 2.2 | 2.5 | .7 | .1 | 7.2 |
1992–93 | 28 | 27 | 31.1 | .438 | .382 | .791 | 4.1 | 5.7 | 1.6 | .2 | 11.0 | |
1993–94 | 35 | 35 | 33.3 | .448 | .351 | .800 | 4.5 | 5.9 | 1.6 | .1 | 18.3 | |
1994–95 | 30 | 30 | 36.4 | .476 | .465 | .826 | 4.3 | 7.3 | 1.7 | .0 | 22.8 | |
通算 | 123 | 92 | 29.8 | .457 | .402 | .804 | 3.8 | 5.4 | 1.4 | .1 | 15.0 |
脚注
- ^ Basketball is in Jones' DNA---ESPN.com
- ^ a b Jason Smith (2011年5月30日). “Memphis Tigers to introduce Stoudamire as assistant basketball coach Tuesday”. COMMERCIAL APPEAL. 2015年6月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Draft flashback: Stoudamire made quick impact with Raptors”. tucson.com (2015年6月13日). 2015年6月14日閲覧。
- ^ “The Jail Blazers: The Worst Behaved Team In Professional Sports History”. ELITE DAILY (2013年5月14日). 2015年6月14日閲覧。
- ^ a b “Spurs Sign Damon Stoudamire”. nba.com (2008年2月3日). 2015年6月14日閲覧。
- ^ “Sources: Stoudamire, Grizzlies agree on buyout terms”. ESPN (2008年1月27日). 2015年6月14日閲覧。
- ^ “Hollins adds pair of new assistants”. ESPN (2009年2月8日). 2015年6月14日閲覧。
外部リンク
- stoudamire.com 公式ページ
- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手 |
ウォルト・ベラミー ジェローン・ドッド デイモン・スタウダマイアー ラッセル・ウェストブルック レジー・ウォーレン |
アメリカ合衆国のバスケットボール選手 |
ウォルト・ベラミー ジェローン・ドッド デイモン・スタウダマイアー アンドリュー・フィーリー クリスチャン・レイトナー |
ポートランド・トレイルブレイザーズの選手 |
ニコラス・バトゥム テオ・ラトリフ デイモン・スタウダマイアー スティーブン・グラハム ジョン・ジョンソン |
トロント・ラプターズの選手 |
クリス・チャイルズ ロバート・アーチボルド デイモン・スタウダマイアー レイファー・アルストン ロコ・ウキッチ |
サンアントニオ・スパーズの選手 |
テオ・ラトリフ ジョン・パクソン デイモン・スタウダマイアー マイケル・フィンリー ジョージ・カール |
メンフィス・グリズリーズの選手 |
ロバート・アーチボルド ゴーダン・ギリチェック デイモン・スタウダマイアー ダーコ・ミリチッチ パウ・ガソル |
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