ディディ・クンポット(Didi Kempot)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/29 09:15 UTC 版)
「Campursari」の記事における「ディディ・クンポット(Didi Kempot)」の解説
(本名Didi Prasetyo)は、Manthous以後のcampursariの重要人物である。1966年12月31日、ソロに生まれる。高校を2年で中退した後、音楽を演奏して歩きまわっていた。彼女の「路上生活」時代に作られた曲のなかには、『Stasiun Balapan』、『Terminal Tirtonadi』、『Tulung』、『Cucak Rowo』、『Wen-Cen-Yu』、『Yang Penting Hepi』、『Moblong Moblong』など、後年ヒットした曲も多い。特に『Cucak Rowo』は、その後のインドネシア国内で、何度もリメイクされることになった。 彼女の最初のアルバムは、1999年に発売された。ファーストアルバムには『Cidro』や『Stasiun Balapan』といった曲が含まれている。当時のカセット商人たちの注目度はむしろ低かった。しかしながら、その後ファーストアルバムが市場で大ヒットとなると、アルバム制作のオファーが殺到したため、1年で12枚ものアルバムを制作した。 今日でも、彼女の名前は非常に有名であり、campursariとジャワ式音楽のいわば代名詞といえる。ジャワ社会において彼女はスーパースターとみなされており、さらにインドネシアのみならず、スリナムやオランダでも有名である。スリナムの大統領ウェイデン・ボッシュが、1998年にインドネシアを訪問した際、彼女は大統領からプライベートで招待された。またオランダでは、ジャワスタイルの歌と音楽への献身が評価され、「Penyanyi Jawa Teladan」という賞を獲得した。
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