Manthous
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/29 09:15 UTC 版)
「Campursari」の記事における「Manthous」の解説
Manthousは1950年に、ジャワ島グヌンキドゥルのDesa Playenで生まれた。16歳のとき、ジャカルタへ行き、才能を生かして、音楽を演奏して歩きまわり、生計を立てるようになった。1969年に彼は、Budiman BJ. Kemudian指揮下の、Bintang Jakartaのケロンチョンオーケストラに参加。さらに1976年には、Benyamin S. Bieb Bluesの子であるBiebとともに、ロックファンキーBieb Bluesバンドグループを結成、ベーシストとして1980年まで活動した。その後、Idris Sardiと合同で、Gambang Kromong Benyamin S. Selainというグループを結成した。 これらの経験を通じてManthousは、さまざまな流派の音楽も習得した。ダンドゥット(dangdut、インドネシアのポピュラーミュージックの一派)の世界では、現在でもなお、ベーシストのお手本とされている。 1993年にManthousは、Grup Music Campursari Maju Lancar Gunung Kidulを結成。ジョグジャカルタのGunungkidul、Playenの地域の仲間や、友達をメンバーとした音楽グループと一緒に、大量のレコーディングをスマランで行った。このグループでは、すでにあったジャワのスタイルに、ロック、レゲエ、gambang kronbongなど、ほかの様式を織り交ぜたcampursariの独自性が、存分に披露された。また、Kutut ManggungやBowo Asmorondonoといった、ガムランの音楽にキーボードとベースギターのサウンドをとりいれた曲もあった。これらのカセットは、それぞれ50000本の売り上げを記録。1990年代半ばの一般的なカセット販売数から見れば、大ベストセラーであった。 これらの曲のなかには、Manthous自身が歌っているものもあるが、Sragen出身のSulasmi、Gungkidul出身のMinul、Karanganyar出身のSunyahiといった歌手たちが歌っているものもある。それらの中でヒットした代表的な曲としては、『Anting-anting』、『Nyidamsari』、『Gandrung』、『Kutut Manggun』などがある。
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