テュエステースの追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 07:16 UTC 版)
「アイギストス」の記事における「テュエステースの追放」の解説
「テュエステース#神話」も参照 アトレウスとテュエステースの兄弟はミュケーナイの王位をめぐって争い、最終的にゼウスの支持を得たアトレウスが王位に就いた。このとき、テュエステースはアトレウスの妻アーエロペーと姦通してアトレウスを窮地に陥れたため、アトレウスはその報復として、和解と称してテュエステースを招き寄せ、テュエステースの子供たちを殺してその料理を食べさせた。テュエステースは子供たちの頭部を見せられた上で、国外に追放された。テュエステースは娘のペロピアーがいるシキュオーンに向かった。彼がどんな犠牲を払っても復讐したいと決意してデルポイの神託を求めたところ、自分の娘と交わって男子を得よと告げられたからである。 ペロピアーはアテーナー神殿の巫女として務めており、彼女を見つけたテュエステースは木陰に身を隠した。アテーナーに生贄を捧げる儀式で、ペロピアーは舞いの最中に足を滑らせ、生贄の血で上衣を汚した。彼女が神殿近くにある池で上衣を脱いで洗おうとしたとき、テュエステースは木陰から飛び出して、彼女を犯した。テュエステースが顔を隠していたため、ペロピアーには相手が誰なのかわからなかったが、テュエステースの剣を抜き取って隠した。
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