テュイルリー焼失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:17 UTC 版)
パリ・コミューン末期の1871年5月23日夜、テュイルリー宮殿などパリ市内の多くの公共建築物が何者かに放火され、宮殿は全焼した。 第三共和政が安定してくると、テュイルリー宮殿を再建する案が持ち上がった。オスマンは議会で「カルーゼル凱旋門はエトワール凱旋門からの軸を受け止めるには小さすぎ、ルーヴルに対して傾いて見える。この場所に大きな建物が必要だ。」と述べている。しかし結局宮殿が再建されることはなかった。
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