ツール・ド・フランスでまさかの事態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/01 00:29 UTC 版)
「マウロ・ジャネッティ」の記事における「ツール・ド・フランスでまさかの事態」の解説
2008年、サウニエル・ドゥバル=スコットに名称を改めて挑んだシーズンとなったが、同年のジロ・デ・イタリアではリッコが大活躍し、一時は総合優勝を果たすことになるアルベルト・コンタドールに対して4秒差まで迫り、総合2位に入った他、急遽出場となったツール・ド・フランスにおいても、リッコは第6、9ステージを勝利。また第10ステージではレオナルド・ピエポリ(1位)とフアン・ホセ・コーボ(2位)のワンツーフィニッシュが決まり、しかも第11ステージ終了時点において、コーボとリッコが総合10位以内に入る健闘を見せていた。 ところが第12ステージを前にして、リッコがCERA(持続性エリスロポエチン受容体活性化剤=Continuous Erythropoietin Receptor Activator)と呼ばれる第三世代EPOの陽性反応が出て、レースから追放される事態となり、しかも事の重大性にかんがみ、選手全員をリタイアさせた他、リッコの一件が解決に至るまでチーム活動そのものも一時休止することになってしまった。 さらにその後、リッコとピエポリがチームから解雇され、加えてピエポリもCERA使用歴があることを告白。リッコ本人は当初潔白を主張していたが、ツール・ド・フランス終了後まもなく使用を認めるに至った。こうした異常事態が発生したことを受け、サウニエル・ドゥバルが即座にスポンサーから撤退。残ったスコットと新スポンサーのアメリカンビーフがチームを再結成し、漸く8月28日、レース活動を再開した。
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