チーム黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 02:05 UTC 版)
創設1年目はシラキュース大学のロニー・サイカリーをドラフト1巡目で指名、 何故かウェスタン・カンファレンスのミッドウェスト・ディビジョンに入れられ過酷なロードゲームを戦い続けたこと、戦力がまったく足りなかったこともあり、開幕当初は17連敗、結局15勝67敗で終わる。2年目には全体4番目でミシガン大学のグレン・ライスを指名するも低迷は続いた。 ヒートが変わったのは4年目1991–92シーズン、ロン・ロススタインに変わりケヴィン・ローリーがコーチに就任し。ドラフト全体5番目にミシガン州立大学のスティーブ・スミスを指名、ボストン・セルティックスから移籍したブライアン・ショウ、成長したサイカリー、ライス、グラント・ロング、控えのビンボ・コールズ達の力もありイースタン・カンファレンス8位で初めてのプレイオフに進出した。しかし、全盛期のシカゴ・ブルズの前にあっけなく0勝3敗で一蹴された。 1993–94シーズンには42勝40敗でレギュラーシーズン初めての勝ち越しを決めプレイオフ進出、シーズン1位のアトランタ・ホークスに2勝1敗とリードしたが、最終的には2勝3敗で敗れた。スティーブ・スミスはこのシーズンの活躍が認められ1994年バスケットボール世界選手権のアメリカ代表(ドリームチームⅡ)に選ばれた。1994–95シーズンはスミスらを放出するという不可解なトレードで大幅なメンバー変更を行ったため、不本意なシーズンに終わった。 1995シーズンの終わり、アリソン家がオーナーとなりゼネラルマネージャー兼ヘッドコーチにパット・ライリーが就任、次々に革新的な選手補強を行った。この先、アロンゾ・モーニング、ティム・ハーダウェイ、ジャマール・マッシュバーン、エディー・ジョーンズらの力によりレギュラーシーズンはいつも上位で終わるが、プレイオフではマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズ、ライリーがかつてコーチしたニューヨーク・ニックスなどには勝てずNBAファイナルには進出出来なかった。
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