チームダイナミクスに戻る(2004–2007)
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「マット・ニール」の記事における「チームダイナミクスに戻る(2004–2007)」の解説
ニールはチームダイナミクス(現在のスポンサーはハルフォード)に再加入し、ドライバーズランキング全体で5位、インディペンデントランキングでは、4位となった。 2005年にチームはホンダ・インテグラを独自に開発。インディペンデントチームながら、他のワークスチームに対抗した。この動きは長い歴史を持つBTCCでも、非常に珍しい事だったが、ニールはブランズ・ハッチでドライバーズタイトル獲得を決め、全30戦でポイントを獲得することに成功している。 またこの年のダイナミクスは、チーム部門のタイトルも獲得し、2000年以来5度目のインディペンデントタイトル獲得となった。 2006年もニールのインテグラは高い完走率を保持し、BTCCを2年連続で制すことに成功。チーム部門とインディペンデント部門のタイトルも合わせて、3冠を達成した。 2007年は、マシンをホンダ・シビックに変更して望んだが、この年はセアトとボクスホール勢のタイトル争いとなり、タイトル争いもファブリツィオ・ジョヴァナルディとジェイソン・プラトが最終戦まで争い、ジョヴァナルディがシリーズタイトルを獲得。ニールはランキング4位に留まった。また、この年2回目の開催となった、ブランズ・ハッチでの第1レースでクラッシュし、一時的に入院を余儀なくされた。
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