チベット留学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 08:33 UTC 版)
「ジョージ・アダムスキー」の記事における「チベット留学」の解説
アダムスキーは1899年から1903年まで(年齢では、8歳から12歳にかけて)単身でチベットに留学し、ダライ・ラマから教えを受けたと主張している。 と学会運営委員の皆神龍太郎は、当時のチベットは鎖国政策をとっていて、外国人のアダムスキーが入国することは困難だったと指摘している。さらに1900年にチベット入国を果たした日本人の河口慧海は『チベット旅行記』を記しているが、そこには白人の少年が留学したという記録は掲載されていないとも指摘している。また、河口慧海はチベット入国の前にインドでチベット語を習得しチベット僧になりすましてチベット入国を果たしたが、冒険家でもある河口でも何度も遭難して死にかけながらようやく入国できたのであり、8歳の白人の少年が単身でチベットに入国することは考えられないと指摘している。 さらにアダムスキーは1936年にWisdom of the masters of the Far East(直訳すると『極東の賢者の知恵』。日本語訳は『ロイヤル・オーダー』たま出版)という本を出版した。皆神は「『極東の賢者の知恵』という書名からは、東洋哲学やチベット仏教に関する本だとしか思えないが、Q&Aの中には、チベット仏教固有の神の名などは一つも出てこない」と指摘し、さらに「「イエスの教えで最も重要なポイントは何か」といった質問が中に入っていたりして、どう見ても『極東の賢者の知恵』には見えない」とも指摘している。
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