ダンスホールとしての側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 02:23 UTC 版)
「チャブ屋」の記事における「ダンスホールとしての側面」の解説
大正から昭和初期にかけて、ジャズは聴く音楽ではなく、踊るための音楽だった。ダンスホールではバンドが演奏していたが、蓄音機やピアノの伴奏でダンスが踊れる場所として、チャブ屋が存在していた。 市中のダンスホールでは10枚綴りのチケットを買い、「ダンサー」とよばれる踊りの巧い女性達とペアで踊った。チャブ屋では、ビールを一本買えば、チャブ屋の女と好きなだけ踊ることが出来た。ダンスホールは夜半に閉店してしまうが、チャブ屋は明け方まで営業しているため、ダンスホールとチャブ屋をハシゴする者もいたと言われる。 一般的な日本人が出入りする場所とは言えなかったものの、洋楽やダンスの愛好家の間ではチャブ屋の存在は口コミで広まっていた。ジャズや映画の評論家である植草甚一は、まだ独身だった昭和十年代、チャブ屋に十日間泊まり込み、ジャズ浸りになったことが何度もあるという。後年、「チャブ屋で聞いた洋楽がジャズへの愛の入り口となった」と述懐している。
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