ダイチン国(清朝)のモンゴル支配と「外藩蒙古」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:52 UTC 版)
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ダイチン国(清朝)支配下のモンゴル人は、八旗蒙古、内属蒙古、外藩蒙古の三種類に区分された。 「八旗蒙古」は、古くからアイシンギョロ王家に臣従し、満洲人たちとほぼ同等の待遇をうけ、官僚として王朝につかえた人々。 「内属蒙古」は、モンゴル草原の一角において固有の部族組織を維持しつつ、皇帝の直属下におかれた部族で、チンギス・ハン一族の旧宗家の領民だったチャハル部と、準宗家のアルタン・ハン一族の旧領民の帰化城トメト部の2部族をさす。 「外藩蒙古」は、モンゴル草原の一角において固有の部族組織をもち、ボルジギン氏・非ボルジギン氏の子孫のモンゴル人貴族の統治をうける諸部族で、上記の例外をのぞく、モンゴルの全諸侯、全部族を包含する概念である。外藩蒙古に対し、清朝は法制上さらに「内扎薩克六盟四十九旗」と「外扎薩克四部落等処一百五十旗」とに大別しているが、内・外の区分は清朝に対する服属時期(前者が1636年まで、後者が1691年以降)に相当し、地理上の南北とは対応していない。外藩蒙古にたいする法制上の区分の詳細は外藩蒙古を参照。
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