ダイキン工業への社名変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:24 UTC 版)
1960年(昭和35年)頃になると、フッ素化学製品や塩化ビニール製品の台頭で「大阪金属工業」の社名と製品が一致しなくなり、社名の売れてない東京方面への売り込みに「大阪」の名称も不利に働くと予想されたためと、既に1954年(昭和29年)には「ミフジレーター冷凍機」を「ダイキン冷凍機」に変更済みで、社外でも大阪金属を「ダイキン」と通称されていたため、山田晁社長の決断で1963年(昭和38年)10月1日を以って社名を「ダイキン工業」に変更した。1965年(昭和40年)1月30日山田晁は取締役会長に、後任社長には、1952年(昭和27年)の住友金属との再提携時、同社より移籍した土屋義夫が就任した。 山田晁は1972年(昭和47年)1月28日取締役相談役に退き、土屋義夫が取締役会長に、長男の山田稔が3代目取締役社長に就任した。翌1973年(昭和48年)2月12日88歳の天寿を全うした。
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