タリバンの全土掌握
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:15 UTC 版)
「ラシッド・ドスタム」の記事における「タリバンの全土掌握」の解説
2020年2月29日、アメリカとタリバン間で和平合意が締結された。2021年5月1日、駐留米軍が撤退を開始するとタリバンは攻勢を強め、各地でアフガニスタン軍は敗走した。これを受けドスタムは療養先のトルコから8月4日に帰国したものの、拠点であったマザリシャリフが15日までに陥落したためウズベキスタンへ逃亡した。現在はトルコに滞在中とされている。
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タリバンの全土掌握
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 11:46 UTC 版)
「ハイバトゥラー・アクンザダ」の記事における「タリバンの全土掌握」の解説
詳細は「2021年ターリバーン攻勢」を参照 米軍撤退開始に伴い2021年5月に始まった攻勢により8月15日には首都カーブルが陥落し、事実上ターリバーンがアフガニスタンの全権を掌握することとなった。タリバン幹部のワヒードラ・ハシミ(Waheedullah Hashimi)はアフガニスタンは評議会により統治され、評議会議長が大統領のような役割を果たし、アクンザダは評議会議長の上に立つ公算があると述べた。9月7日のタリバンによる暫定政権発足の際にアクンザダ名義で国民に声明を発表し、新政権においてはイスラムの規則及び法を遵守していく、とした。 政権奪還後も公の場に姿を表さず、本人とされる写真も以前ターリバーンが公開した1枚しか存在しないため、死亡説が一部では囁かれている。2022年5月1日のイード・アル・フィトルで、カンダハール大学モスクに現れ説教をした。しかし、ジャーナリストはアクンザダに近づく事が許されず、周囲の人にも撮影許可が降りなかった。
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