タイコンデロガ砦の奪取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 17:33 UTC 版)
「イーサン・アレン」の記事における「タイコンデロガ砦の奪取」の解説
1775年の春のアメリカ独立戦争の開始に続き、アレンとベネディクト・アーノルドがタイコンデロガ砦を襲ってこれを奪取した。この時のアレンとアーノルドの役割については全体がはっきりしていない。コネチカットの反イギリス勢力がどの程度作戦を組み立てたか不明であるし、バーモント植民地ベニングトンのキャタマウント酒場に本部を置くグリーン・マウンテン・ボーイズの考え方がどのように展開していたかも不明である。はっきりしている事は、革命勢力が北へ動き、数十人でシャンプレーン湖を渡ったということである(ボートを見つけるのに苦労したし、やっと見つけたものはかなり小さかった)。暁の攻撃でタイコンデロガ砦にいた守備兵(彼らは戦争が始まったことも知らなかった)から砦を奪取した。アレンとアーノルドの革命軍は直ぐに、今日のカナダ国境に近いクラウンポイント砦とラ・モット島のアン砦を奪い、一時的にではあるがセントジョンの町(現在はケベック州サン・ジャン・シュル・リシュリュー)も抑えた。タイコンデロガ砦で捕獲した大量の大砲と火薬は、手詰まりとなっていたボストン包囲戦を打開するきっかけになり、1776年3月のイギリス軍撤退に繋がった。 タイコンデロガ砦の奪取の様子はタイコンデロガ砦のタイコンデロガ砦の奪取を参照。
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