ソフィストのアンティポン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:11 UTC 版)
「アンティポン」の記事における「ソフィストのアンティポン」の解説
「en:Sophistic works of Antiphon」も参照 断片しか現存していないが、『真理について』という名前で知られる論文は、ソフィストのアンティポンの作とされている。この論文では自然権理論の先駆けとも思える理論が展開されている。ラムヌースのアンティポンと別人説が言い出されたのは、こうした見解からである。つまり、この人物は断固とした平等主義(Egalitarianism)、自由意志論者で、それは民主主義寄りで、その民主主義に対して寡頭派のクーデターを起こした人物とは相容れないからである。 『真理について』において、習慣あるいは法の抑圧的な性質(ノモス)が、自然、とくに人間の性質(ピュシス)と並置されている。自然は自発性と自由を求めるのに対して、法はしばしばいわれのない制限を負わす。 法的に正しいもののほとんどは(それにもかかわらず)……自然に反している。法は、目に、何が見るべきで何は見るべきでないを命じる。耳には、何を聞くべきで何を聞くべきでないかを。舌には、何を言うべきで何を言うべきでないかを。手には、何をすべきで何をすべきでないかを……魂には、何を望み何を望んではならないかを。 — アンティポン『真理について』オクシュリュンコス・パピルスから見つかった断片 抑制は痛みを意味する。一方で、その痛みを避けるのが自然である、というのがアンティポンの主張である。 アンティポンは、仲間のヘラクレアのブリュソン(Bryson of Heraclea)とともに、円の周りに多角形を内接させ、それから外接させ、最後に多角形の面積を計算することで、円周率の値の上限と下限を求めた最初の人物でもある。この方法は円積問題に適用された。
※この「ソフィストのアンティポン」の解説は、「アンティポン」の解説の一部です。
「ソフィストのアンティポン」を含む「アンティポン」の記事については、「アンティポン」の概要を参照ください。
- ソフィストのアンティポンのページへのリンク