ソシュールの教え子か師か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/16 08:30 UTC 版)
「アルベール・セシュエ」の記事における「ソシュールの教え子か師か」の解説
セシュエはソシュールの教え子であり、ソシュール没後の1916年にバイイとともに『一般言語学講義』を編集した。この古典的著書の作成に彼の果たした役割は大きなもので、『一般言語学講義』の考えのいくつかは講義を聴講した学生のノートやソシュールの草稿には見えず、編集したバイイ・セシュエに由来する可能性がある。 しかし、セシュエが1908年に出版した『理論言語学の計画と方法』は、すでに共時的言語学の計画や音韻論などの構造主義的ないくつかの考えを含んでいた。ソシュールはこの著書を知った後の1909年の講義ではじめて共時論と通時論に関する一節を盛りこんだ。つまり、セシュエとソシュールが同時期に発見していたいくつかの考えがソシュールのものとして国際的な栄光を得た一方、セシュエの著作は半ば意図的に長いあいだ忘れ去られていたのだった。現在ではペーター・ヴンデルリ (Peter Wunderli) の説のようにソシュールの方をセシュエの弟子と見なす考えもある。もちろんこれは誇張であるが、構造主義の創造においてセシュエが大きな役割を果たしたことに変わりはない。
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