セントルイス/アトランタ・ホークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 07:16 UTC 版)
「リッチー・ゲリン」の記事における「セントルイス/アトランタ・ホークス」の解説
当時のNBAを代表する強豪チームだったホークスでは、ゲリンはレニー・ウィルケンズらとバックコートを形成し、中心選手のボブ・ペティット、クリフ・ヘイガンらのサポート役を務めるようになった。自然と成績は後退し、ゲリンがホークスに加入したシーズンは13.1得点の成績に終わった。 翌1964-65シーズンのホークスは序盤を17勝16敗と波に乗れず、シーズン途中でハリー・ギャラティンがヘッドコーチを解任され、チームは後任にゲリンを選んだ。このためゲリンは選手兼ヘッドコーチの二役を担うことになったが、ゲリンのヘッドコーチ就任後は29勝18敗とチーム成績は上向き、選手としては前季を上回る14.4得点と見事に大役を果たして見せた。しかし大黒柱のペティットがこのシーズンを最後に引退してしまい、ホークスはチームとしては衰退期を迎えていた。翌1965-66シーズンにはプレーオフ進出を逃してしまい、ゲリンはチームの再建を図るべくコーチに専念するため、翌1966-67シーズンをもって現役から引退した。 ゲリンがコーチに専念して最初の1967-68シーズン、ホークスは56勝26敗を記録する大躍進を遂げて地区優勝を飾り、ゲリンは最優秀コーチ賞に選ばれた。このシーズン終了後、ホークスは本拠地をアトランタに移転。環境の変化によりチームの勝率は後退するものの、1969-70シーズンには地区優勝に返り咲いた。ゲリンはホークスの黄金期を支えたペティット、ヘイガンがチームを去った後も強豪としての地位を堅持することに成功したが、しかしプレーオフでは2年連続でロサンゼルス・レイカーズの前に敗退し、優勝は叶わなかった。なお、この時期ゲリンは限定的に現役復帰しており、1970年プレーオフのレイカーズとのシリーズ第4戦では、31得点を記録している。 この1969-70シーズン終了後、ホークスはリーグ再編のためウエスタン・カンファレンスからイースタン・カンファレンスに編入される。この年にはピート・マラビッチが入団するが、かつての中心選手だったレニー・ウィルケンズやゼルモ・ビーティ、ジョー・コールドウェルらはすでにチームを去っており、ホークスは再び衰退期を迎えていた。ホークスはその後の2シーズン続けてプレーオフを逃し、ゲリンはヘッドコーチから解任されることになった。 NBA選手としての通算成績は13シーズン848試合の出場で、14,676得点4,278リバウンド4,211アシスト、平均17.3得点5.0リバウンド5.0アシスト。コーチとしての通算成績は8シーズン618試合、327試合291敗、勝率.529、全シーズンでプレーオフ進出を果たしている。
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