ズゴダ強制収容所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 08:26 UTC 版)
「サロモン・モレル」の記事における「ズゴダ強制収容所」の解説
ズゴダ強制収容所は、ソ連軍による南ポーランド侵略の後、KGBの前身であるソ連内務人民委員部(NKVD)によって設立され、後にポーランド共産政権の秘密警察 UB(公安省)へと移譲された。1945年3月15日、モレルはこの収容所の所長に就任した。モレルの伝記を書いたジョン・サックによると、以下の通りである。 ドイツ人の捕虜たちがズゴダ強制収容所に到着した最初の晩、夜10時頃、バラックの中にモレルが足を踏み入れてこう言った。「俺の名はモレル。ユダヤ人だ。俺のおふくろも、おやじも、家族はみんな死んじまっただろう。俺は、生き延びたら絶対お前らナチスに仕返ししてやろうと誓ったんだ。これから、お前らに報いを受けさせてやる」[要出典] すでに1945年、モレルは強制収容所における伝染病の蔓延の責任を問われ、上司から自宅謹慎3日間を命ぜられている。 現在の調査によると、この収容所では1695名の囚人が飢餓や劣悪な衛生環境に起因する赤痢やチフスや腸チフスのために亡くなったが、モレルは病気の蔓延を防ぐ手立てを講じなかったのみならず、実際には蔓延を助長していたことが判明している。国家記銘院から問題とされたのは、拷問や心身両面への虐待行為など、「生物として絶滅の危機に瀕するほど劣悪な環境を作り出した」行為だった。
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