スローライフ
スロー‐ライフ
スローライフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/31 06:07 UTC 版)
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スローライフ(Slow Life)とは、生活様式に関する思想の一つである。厳密に定義された言葉ではなく、曖昧なイメージを伴って恣意的に解釈、使用されうることに注意が必要である。
スローフードからスローライフへ
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1986年、マクドナルドがイタリアに進出し、ローマのスペイン広場に1号店を開いたが、アメリカ資本のファストフード店に対する反発は大きく、この際に起こった反対運動が、伝統的な食文化を評価するスローフード運動に発展した。1989年にはスローフード運動の国際化が行われた。
日本では1999年春に日本スローフード協会が設立され[1]、また同年にカゴメがパスタソース「アンナマンマ」のCMメッセージで「スローフードに帰ろう」を使い[2][3]、2000年より島村菜津が自著でスローフードを広め[4]、またいつからか環境ファッションマガジン『ソトコト』もスローフードを取り上げるようになっていった[4]。
やがて食文化のみでなく、生活様式全般やまちづくりを見直す動きに広がった。
日本におけるスローライフ
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日本で「スローライフ」という言葉が使われるようになったのは2001年頃からである。川島正英(地域活性化研究所)や筑紫哲也(ジャーナリスト)らが「スローライフ」について模索していたところ、川島の話を聞いた掛川市の榛村純一市長が「スローライフシティー」を公約に掲げて再選を果たした(2001年)。2002年11月、掛川市で「スローライフ月間」が開かれ、12月のシンポジウム「スローライフのまち連合を結成しよう」には、掛川市、湖西市、岐阜市、多治見市(岐阜)、安塚町(新潟)、立川町(山形)、柳井市(山口)が参加した[5]。 その後、「スローライフ月間」は各地で開催されるようになり、「ゆっくり、ゆったり、心ゆたかに」を掲げるスローライフ・ジャパン(川島正英理事長)が設立された。
これをまちづくりに応用した思想は、「ニューアーバニズム」とも言われている。
丁寧な暮らし
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丁寧な暮らし(ていねいなくらし)はスローライフに類似した日本の概念である。2003年、「当たり前の日常を丁寧に暮らす」をテーマとした雑誌『ku:nel』が創刊され[6]、またその頃に『天然生活』などの生活派の雑誌が増え、「丁寧な暮らし」という言葉が流行していった[4]。
関連作品
漫画
脚注
- ^ スローフード運動その2「私にもできるスローフード」 スローフードに帰りましょう(2ページ目) All About 2001年3月21日
- ^ 『国立民族学博物館研究報告 33巻1号』 国立民族学博物館 2008年
- ^ 『総合食品 23(3)(267)』 p.32 総合食品研究所 1999年8月 [1]
- ^ a b c 『家事は大変って気づきましたか?』 阿古真理 2022年9月29日 ISBN 978-4750517667
- ^ 筑紫哲也「スローライフ」岩波新書
- ^ 『女性情報 212号』 パド・ウィメンズ・オフィス 2003年
- ^ 第15回ananマンガ大賞受賞! “強面×丁寧な暮らし”のギャップ男子が魅力の『寿々木君のていねいな生活』 ライブドア 2024年12月30日
関連項目
外部リンク
スローライフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:03 UTC 版)
掛川市(旧制)市長榛村純一は、7選目の市長選(2001年)に際して、スローライフを公約に掲げた。 2002年11月に「スローライフ月間 in 掛川」が開催され、国土交通省都市・地域整備局長澤井英一、千葉大学法経学部教授新藤宗幸、ジャーナリスト筑紫哲也、榛村市長、地域活性化研究所代表川島正英によるシンポジウムが行われた。 (旧)市制50周年を機に、ファストフードに代表されるライフスタイルやモータリゼーションに対して異議を唱え、勤労・分度・推譲を重視する報徳思想と絡めた、「歩行文化・スローライフ・報徳文化都市宣言」を行った(2004年4月)。スローライフシティを宣言した都市は、掛川が全国初である。
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