スプリームスとの類似
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 16:18 UTC 版)
「ドリームガールズ」の記事における「スプリームスとの類似」の解説
マイケル・ベネット、ヘンリー・クリーガー、トム・アインおよびプロデューサーたちはこの作品とスプリームスとの関連性は否定している。スプリームスに関わる実際の出来事とこの作品の中の出来事は似ているが、モータウン、ベリー・ゴーディ、スプリームスからの法的訴訟を避けるために関連性を否定している。スプリームスのメアリー・ウィルソンはこの作品をとても気に入り、初めての自伝に『Dreamgirl: My Life As a Supreme 』と名付けた。1983年7月、ダイアナ・ロスはニューヨークのセントラル・パークで開催された無料コンサートにおいて『ドリームガールズ』第1幕で使用される『Family 』を演奏した。ディーナ役はロスをモデルにしているとされるが、ディーナ役を演じたシェリル・リー・ラルフはロスの物真似をしてはいないが、ロスに類似している。 実際の出来事との類似点を以下に示す: デビュー時の名がスプリームスはプライメッツ、ドリームズはドリーメッツでどちらも後ろに「ettes」――複数形の指小語尾をつくる――が付く。 スプリームスはデビュー当時フローレンス・バラードがリード・シンガーであり、ドリームズのエフィ・ホワイトと同様である。 スプリームスもドリームズも有名になる前はプロのアーティストのバックグラウンド・ヴォーカルであった。 スプリームスのリード・シンガーは柔軟で大衆受けする声のダイアナ・ロスに変更されたように、ドリームズでもディーナ・ジョーンズに変更される。 ディーナとカーティスの浮気はロスとゴーディの浮気をモデルにしており、以降ゴーディはロスのキャリアに力を入れるようになった。 ロレルとジェイムズの関係はメアリー・ウィルソンとウェールズ人歌手トム・ジョーンズの他、モータウンのアーティストたちとの関係性に似ている。 記者会見の際、スプリームスの代表としてロスが話すように、ドリームズの代表としてディーナが話す。 マスコミがロスを「ミス・ロス」と呼ぶように、ディーナは「ミス・ジョーンズ」と呼ばれる。 スプリームス内でロスが前面に押し出され、フローレンス・バラードがバックグラウンドに押しやられた結果嫉妬し敵意を持つようになったのと、エフィの態度が似ている。 フローレンス・バラードが公演、レコーディング・セッションを休むことを仮病ととらえられ、体重が増加し、1967年にラスベガスで解雇されたのと、エフィの処遇が似ている。 フローレンス・バラードが解雇された同日、シンディ・バードソングが後継したのと、ミシェル・モリスがエフィの後継になったのと似ている。 1967年のラスベガス公演でスプリームスが「ダイアナ・ロス・アンド・ザ・スプリームス」となったのと同様、1967年のラスベガス公演でドリームズも「ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズ」となる。 1970年にロスがスプリームスを脱退した後映画界に進出し、1972年にモータウンがプロデュースした『Lady Sings the Blues 』で映画デビューしたように、ディーナもドリームズを脱退して1972年に女優となる。
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