ストックホルムの建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 12:15 UTC 版)
「ビルイェル・ヤール」の記事における「ストックホルムの建設」の解説
1252年にビルイェルが書いた2通の手紙が残っているが、一方はウップランド西部メーラレン湖の東に存在する諸島に触れ、もう一方ではその地理的好条件について説明している。これが後のスウェーデンの首都ストックホルムに関する最初の記述である。考古学調査ではより以前に建設された防御施設の遺構が発見されているが、それらが13世紀半ばまでにどれほど残存していたのかについては議論がある。 ビルイェルがストックホルムに着目したのは、メーラレン湖上に孤立した島に砦を築くことでウップランドの土着大貴族に対する防衛の拠点と出来ることに加えて、バルト海と繋がっていることからドイツ商人を誘致し商業的な拠点とすることも狙ったものと考えられている。ビルイェル自身がストックホルム建設に直接関わった可能性には疑問が残るが、以前には単なるバルト海とメーラレン湖との間の通過点に過ぎなかったストックホルムが、ビルイェルの時代に初めて拠点として整備された可能性は十分にある。ドイツ沿岸との交易に適するこの地の拠点化は、それまでの王がレイダング制によって戦士を集め、いわゆるヴァイキングとして遠征するスウェーデン古来の外貨獲得法が、リューベックとの直接交易によるより進んだ貿易体制にとってかわられるきっかけにもなった。ビルイェルは、こうしたドイツとの貿易による資金力と、教皇との関係強化によって自らの地位を強固なものにした。
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