スティックニーの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 17:13 UTC 版)
「シカゴ・グレート・ウェスタン鉄道」の記事における「スティックニーの時代」の解説
アルフィアス・ビード・スティックニーは、法律家から鉄道事業家に転身した経営者である。彼が設立した鉄道は複数ある。 1854年、ミネソタ準州議会はミネソタ・アンド・ノースウェスタン鉄道(M&NW)の設立特許を与えた。この鉄道はスペリオル湖とミネアポリス、アイオワ州ダビュークを結ぶものであった。しかしながら、その特許はスティックニーや他の投資家が1883年にその特許を購入するまで休眠状態であった。スティックニーらは特許を得るとすぐに工事を開始し、1886年までにはセントポールとダビュークとの間の鉄道建設が完了した。 1888年までに、M&NW は名称をシカゴ・セント・ポール・アンド・カンザス・シティ鉄道(CStP&KC)に変更するとともに、イリノイ州を通りフォレスト・パーク(Forest Park, Illinois)までの路線を開通させた。ミシシッピ川渡河地点のみイリノイ・セントラル鉄道に線路使用権を得た。フォレスト・パークでは、ボルチモア・アンド・オハイオ・シカゴ・ターミナル鉄道の元となった鉄道と接続し、シカゴの中央駅(Grand Central Station)まで9マイル(14キロメートル)の距離となった。 この新線建設にあたり、ガリーナ南部にイリノイ州最長のトンネル、ウィンストントンネル(Winston Tunnel)を穿った。このトンネルの長さ2493フィート(760メートル)であった。 合併と新線建設の間に、CStP&KCは1891年までにシカゴとセント・ポール間の幹線上にあるエルウェイン(Oelwein, Iowa)とミズーリ州カンザスシティとを結ぶ路線を開通。1903年までにはエルウェインとネブラスカ州オマハ間を開通した。これによりエルウェインは鉄道のハブとなり、機関車の修理工場も設けられた。これらの大規模な設備はウォルター・クライスラーの関心を引いたと言われ、1904年から1910年にかけてクライスラーは工場のスーパーバイザーを務めた。 同鉄道はアイオワ州、ミネソタ州、イリノイ州内に支線を多く張り巡らせた。さらに北はダルース、西はスーシティまたはコロラド州デンバー、南はメキシコまでの延伸を計画していたが、それは実現しなかった。
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