ジャムチ制の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:27 UTC 版)
駅伝制度は中国では春秋戦国時代より用いられており、モンゴル帝国も中国の駅伝制を参考にジャムチ制を整備したと考えられるが、具体的にいつ頃から駅伝制を導入したかは記録がなく不明である。 ジャムチ制の整備について記録されるようになるのは第二代皇帝オゴデイの時からで、『元朝秘史』はジャムチ制度の制定について、以下のように記述している: また、オゴデイ・カアンの宣うよう、「……また、使臣を馳せやる時、[所定めず]国民から取り立てて馳せてきたが、[そのため]馳せる使臣は行程が遅れがちであり、国民は苦しんでいた。今、我らがしかと一定の場所を定め、各地の千(ミンガン:千人隊)・千からジャムチ(駅站戸)やウラアチン(舗兵)を出させ、[然るべき]場所場所にジャム(駅站)を置き、心安んじて、[国民からの徴発]に頼ることなく、駅站に頼って馳らせれば、よかろうぞ……」とのジャルリグ(聖旨)があった。 — 『元朝秘史』 この記述から、一般的にジャムチ制度は第二代皇帝オゴデイが創始した制度と紹介されることもある。しかし、実際には駅伝制の整備は初代皇帝チンギス・カンの時代から進められており、オゴデイは既存の駅伝制度を大々的に整備したものと考えられている。 チンギス・カンの中央アジア遠征中、モンゴル高原を経由して中央アジアを訪れた長春真人は魚児濼駅路(後のテレゲン道)というルートを用いたと記録しており、この頃既に駅伝制度の整備は始まっていた。
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