テレゲン道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:27 UTC 版)
突厥時代から存在し、キタイ帝国(遼朝)の時代には南モンゴル(上京臨潢府)と北モンゴル(辺防城)を繋いだ路線を前身とする。モンゴル帝国時代には金の上都(後には元の大都)を出発し、北西に向かってシリンゴル草原を越え、ケルレン河流域に出るルートであった。カラコルムに向かう際にはケルレン河流域から更に西に進む。 チンギス・カンの時代には魚児濼駅路とも呼ばれ、長春真人が用いたことで知られる。
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