ジャムバンド、アメリカンカルチャーの語り部の第一人者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/05 05:47 UTC 版)
「菊地崇」の記事における「ジャムバンド、アメリカンカルチャーの語り部の第一人者として」の解説
20代の時に初渡米。1999年のフィッシュのフェス〈ビッグサイプレス〉や〈ボナルー〉、〈ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル〉、〈コーチェラ・フェスティバル〉、〈Hangout Music Festival〉などにも参加。著書にフィッシュを追いかけた体験記『自由って何だ?』がある。ここには99年のフジロックでの初体験から、ヴァーモント州コヴェントリーでのラスト・ライブまでフィッシュ(Phish)を追いかけながら思った様々な事柄が綴られジャムバンドの本場アメリカで、ジャムバンドを追いかけて旅をした体験なども書かれている。アメリカのジャムバンド・シーンを伝える第一人。60年代のアメリカで起こったカウンター・カルチャーのビジョンを、今の日本に、そして未来へ繋ごうとしている。
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