ジャイアントロック宇宙会議と黙示録的予言
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「アシュタール」の記事における「ジャイアントロック宇宙会議と黙示録的予言」の解説
ヴァン・タッセルはジャイアントロック付近に設立したコミュニティで毎週チャネリングセッションを開催し、そこで人々はタッセルを通じて、地球外生命体へへの質問と解答を経験することができた。こうした動きは、ジャイアントロック宇宙会議と呼ばれる大規模なイベントにつながり、1953年の春から少なくとも24年間は実施された。1959年に最大11,000人の人々がこの会議に出席し、宇宙から来たと主張するチャネリングメッセージを聞いた。有名なUFOコンタクティのほとんどは、スピーカーやチャネラーとしてこのイベントに参加した。これは当時としては画期的なイベントであり、宗教学者メルトンによると、1950年代ほぼすべてのコンタクティは、ヴァン・タッセルやガブリエル・グリーンのいずれかのグループに関わっていたと述べている。 1952年にヴァン・タッセルがアシュタールからメッセージを受け取るようになり、やがてその多くは黙示録的な要素を含むようになった。そしてそれは当時アメリカによって開発された水素爆弾に関する懸念によっていた。1952年7月18日、アシュタールはアシュタール銀河コマンドの司令官として太陽系に入り、惑星の破壊につながる水素爆弾の危険性を人類に警告するためにやって来ると主張した。メッセージは、銀河コマンドは、誤った原子力の使用によって地球を破壊しないよう人類を助けていると述べた。またヴァン・タッセルは、予定された次期爆弾テストの潜在的な悪影響についての警告を米国連邦政府に伝えるようアシュタールは希望していると主張した。にも関わらず実験は行われ、何事もなかったが、これはアシュタールコマンドが地球をサポートし、爆弾実験によるダメージを回避したからだと主張した。
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