ジャイアンツの17歳の新人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:59 UTC 版)
「1926年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ジャイアンツの17歳の新人」の解説
ニューヨーク・ジャイアンツにこの年初めに17歳という異例の若さでルーキーが一人入団してきた。右投げ左打ちのその若者は捕手として入団テストを受けた時に、マグロー監督は体が小さいので契約するつもりはなかったのだが、バッティング練習を見て、急に契約する気になったという。両足を大きく広げて構え、左打者なのでピッチャーが投球動作に入ると右足をヒザの高さまで上げて、球を打つ寸前には右足を地面に付けて打つその特異な打法に、マグローは注目して「将来の大物に育てよう」と決心したという。その若者は外野手に転向して入団3年目の1928年に打率.322・本塁打18本でレギュラー入りした。以後1945年にナショナルリーグで最初の通算500本の本塁打を打ち、引退時点で通算511本を打ち、その間に本塁打王を6回獲得したこの若者の名前はメル・オット。これより33年後に日本の読売ジャイアンツに王貞治が入団したが、この二人に共通点があり、どちらもジャイアンツ一筋の選手生活であったこと、どちらもジャイアンツの監督になったこと、そしてどちらも一本足打法で本塁打王になったことである。
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