ジプシーの歌 (ブラームス)とは? わかりやすく解説

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ジプシーの歌 (ブラームス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 23:59 UTC 版)

ジプシーの歌』(ジプシーのうた、: Zigeunerlieder)は、ヨハネス・ブラームスによる混声4声部歌唱重唱)とピアノのための歌曲集。作品103と作品112の2つの作品番号にまたがっている[1][2]。歌詞はいずれもブラームスの友人であるフーゴー・コンラートwikidata: Hugo Conrat)がハンガリー民謡ハンガリー語版[注 1]をドイツ語に翻訳したものである[4][注 2]

この項目では『4つのジプシーの歌』(: Vier Zigeunerlieder、作品112『6つの四重唱曲』に所収)についても記載する。

ジプシーの歌 作品103

ブラームスは、親交のあったウィーンの商人フーゴー・コンラートの家を幾度なく訪れていた[注 3]ころ、ブダペストロツアフエルギーハンガリー語版から出版された25曲からなるハンガリージプシーのピアノ伴奏付き民謡集を入手しており[7][8]、このうち15曲を選んでコンラートが子どもたちのハンガリー人乳母2人の助力により[9][注 2]、ドイツ語に翻訳した歌詞[10]を携えて、1887年[8]、避暑に訪れていたスイストゥーン[11]、うち11の歌詞に作曲を始めた[8]。そして、同年12月に完成したのが『ジプシーの歌』作品103である[8]。翌1888年に初演された[4][注 4]

ブラームスは作品103以前に、自分が取材したジプシー民謡を基にオーケストラと4手のピアノのための『ハンガリー舞曲』を作曲しており、その出来栄えは当時のハンガリーの音楽家たちが嫉妬するほど優れたものであった[13]。作品103は、その『ハンガリー舞曲』に声楽的に対応する歌曲集である[14]一方、ブラームスの同じ四重唱曲集である『愛の歌』作品52と『新・愛の歌』作品65に対応する、エキゾチックな歌曲集でもある[15]

11曲はいずれもジプシー音楽の特徴である4分の2拍子で、全曲共通してジプシーの感傷や情熱を表現しているが、各曲の持つ性格によって異なる技巧が駆使されていて、それぞれにおいて豊かな音響的色彩を放っている[8][7]

のちに、出版社(ジムロック[16])の依頼により8曲を抜粋してブラームス自身がアルト独唱用に編曲した[13]。8曲は最初の7曲に最後の11曲目を加えたもので、こちらの方が多くの声楽家に演奏されている[17]

合唱曲として歌われることも多く[18]、日本でも1965年福永陽一郎により男声合唱に編曲されている[13]

曲目(作品103)

  • 第1曲 He, Zigeuner, greife in die Saiten(おい、ジプシー、弦をかき鳴らせ) - イ短調、アレグロ・アジタート(allegro agitato[16][19][20]
  • 第2曲 Hochgetürmte Rimaflut(高く波打つリマの流れ) - ニ短調、アレグロ・モルト(allegro molto[21][19][20]
  • 第3曲 Wißt ihr, wann mein Kindchen(僕の彼女が一番美しいのは、いつなのか知ってるかい) - ニ長調、アレグレット(allegretto[21][22][20]
  • 第4曲 Lieber Gott, du weißt(神さま、あなたはご存じですね) - ヘ長調、ヴィヴァーチェ・グラツィオーソ(vivace grazioso[22][23]
  • 第5曲 Brauner Bursche führt zum Tanze(日焼けした若者がダンスをリードする) - ニ長調、アレグロ・ジョコーソ(allegro giocoso[21][22][23]
  • 第6曲 Röslein dreie in der Reihe(3つ並んだ赤いばらが) - ト長調、ヴィヴァーチェ・グラツィオーソ(vivace grazioso[24][23]
  • 第7曲 Kommt dir manchmal in den Sinn(ときどき思い出して) - 変ホ長調、アンダンティーノ・グラツィオーソ(andantino grazioso[25][26]
  • 第8曲 Horch, der Wind klagt in den Zweigen(聞け、風が枝の間で嘆くのを) - ト短調、アンダンティーノ・センプリーチェ(andantino semplice[25][26]
  • 第9曲 Weit und breit schaut niemand mich an(誰もわたしを見ていない) - ト短調、アレグロ(allegro[25][26]
  • 第10曲 Mond verhüllt sein Angesicht(月がその顔を覆う) - ト短調、アンダンティーノ(andantino[25][27]
  • 第11曲 Rote Abendwolken ziehn(赤い夕雲が流れる) - 変ニ長調、アレグロ・パッショナート(allegro appassionato[28][25][27]

ブラームスにおいては、ポピュラーな8曲を取り出した場合に第1曲・第2曲以外の大半の曲調が、ジプシー音楽に多用される短音階(典型はハンガリー音階)でなくむしろ長音階によって作曲されているのが特徴的である(これらの曲を「愉快なナンセンス」と評したという)[28]

独唱版

ブラームス自身が四重唱用の原曲の中から第1曲から第7曲までと第11曲の計8曲を独唱用に編曲したもの[29]。独唱版は1889年の4月または5月に出版された[9]

男声合唱版

1965年に福永陽一郎によって男声合唱に編曲されている[13]。楽譜はメロス楽譜から2001年7月10日に出版されている[30]

4つのジプシーの歌(作品112所収)

『ジプシーの歌』は作品103のほかに、『4つのジプシーの歌』《: Vier Zigeunerlieder》があり、『6つの四重唱曲』(: Sechs Quartette)作品112中の後ろ4曲が該当する[8]。4曲は作品103と同様、いずれもコンラートのドイツ語訳の歌詞によるものである[10]

コンラートの訳詞による4曲(『4つのジプシーの歌』)は、1891年春にオーストリアバート・イシュル[注 5]で作曲された[31][32]。そして、先に1888年に作曲していた2曲[33][注 6]と合わせて『6つの四重唱曲』作品112として1891年の11月ころにライプツィヒペータース社(C.F. Peters)から出版され[32]、初演は非常に好評を博した[36][注 7]

『ジプシーの歌』は合唱曲として歌われることも多いが[18]、一般的にブラームスの『ジプシーの歌』といえば作品103を指し、『4つのジプシーの歌』《Vier Zigeunerlieder》は作品103ほどには演奏されることがない[8]

曲目(作品112/3-6)

  1. 第3曲 Himmel strahlt so helle(天は明るく輝いている) - ニ長調、アレグロ・ノン・トロッポ(allegro non troppo[34]
  2. 第4曲 Rote Rosenknospen künden(赤いばらのつぼみが告げる) - ヘ長調、アレグレット・グラツィオーソ(allegretto grazioso[34]
  3. 第5曲 Brennessel steht an Weges Rand(いらくさが道端に生えている) - ヘ短調、アレグロ(allegro)[34]
  4. 第6曲 Liebe Schwalbe, kleine Schwalbe(かわいいツバメさん、小さなツバメさん) - ニ短調、プレスト(presto[34]

脚注

注釈

  1. ^ 「ハンガリー民謡」は直接的にはゾルタン・ナジー(ハンガリー語: Nagy Zoltán)が編集して出版した25曲からなる民謡集『ハンガリーの愛の歌――中声のためのハンガリー民謡25選』[3]を指す(「ジプシーの歌 作品103」節で後述)。
  2. ^ a b このハンガリー民謡集のドイツ語への翻訳について、本項の英語版ドイツ語版記事はいずれもコンラート家のハンガリー人乳母によるところが大きかったとする。
  3. ^ ブラームスはウィーン在住時からコンラート夫妻と交際があったが、ブラームスが1889年以降の避暑地を前年のトゥーンに代えてイシェルとした[5]ことにより、イシェルに別荘を有していたコンラート家と3人の娘も含めて急速に親密度が増すこととなった[6]
  4. ^ 私的な初演はおそらく1887年から1888年にかけての冬にブラームスの友人たちのサークルの中で行われており、また、公開の初演は1888年10月31日にベルリンマリア・シュミット=ケーネwikidataアマーリエ・ヨアヒム英語版ライムント・フォン・ツア=ミューレン英語版フェリックス・シュミットドイツ語版を歌手として行われた[7][12]
  5. ^ バート・イシュルの地は、ブラームスが1880年1882年のほか、1889年から死没の前年の1896年までの毎年に、避暑に訪れていたところである[5]
  6. ^ 『6つの四重唱曲』(Op.112)の1曲目・2曲目の「: Sehnsucht」「: Nächtens」は、フランツ・テオドール・クーグラー英語版: Franz Kugler)の作詞に拠ったもので[34]、3曲目から6曲目にかけてはコンラートがドイツ語に翻訳したジプシーの民謡集に拠ったのとはテキストが異なっている[33][35]
  7. ^ 『6つの四重唱曲』作品112の初演は、1891年12月14日にロンドンリリアン・ヘンシェル英語版、ファッセルト(: Fasselt、名は不明)、ゲオルク・ヘンシェル(リリアン・ヘンシェルの夫)、ウィリアム・シェークスピア英語版を歌手として、アデリーナ・デ・ララ英語版をピアノ伴奏者として行われた[32](ブラームス研究所の出典記載の歌手名〈姓のみ〉を作品103のロンドン初演時〈1888年11月26日〉の歌手名[19]に照らして、該当の無いファッセルトを除きフルネームで記した)。なお、参考文献にある野本立人は、『4つのジプシーの歌』にかぎり1892年11月21日にハンブルクで行われたとする[35]

出典

  1. ^ Zigeunerlieder op. 103” (英語). The LiederNet Archive. 2025年5月3日閲覧。
  2. ^ Vier Zigeunerlieder op. 112” (英語). The LiederNet Archive. 2025年5月3日閲覧。
  3. ^ Ungarische Liebeslieder : 25 ungarische Volkslieder für mittlere Stimme, by Zoltán Nagy et al.” (英語). The Online Books Page. 2024年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月5日閲覧。
  4. ^ a b 11月26日ブラームス「ジプシーの歌」初演”. ぶんこんなう 練習室の窓. 2025年5月3日閲覧。
  5. ^ a b 大井駿 (2021年7月1日). “ブラームスが訪れた7つの避暑地~名曲が誕生したのはどんな町?”. ONTOMO. 音楽之友社. 2025年5月3日閲覧。
  6. ^ 門馬 1965, p. 120.
  7. ^ a b c 門馬 1993, p. 433.
  8. ^ a b c d e f g 太田務「ZIGEUNERLIEDER Op.103/ジプシーの歌 (op.103)」『「愛の歌」ブラームス』東芝EMI〈合唱名曲コレクション (49)〉、1997年12月17日、10頁。 (CDに付属のブックレット)
  9. ^ a b Zigeunerlieder 'solo version', Op 103 (Brahms)” (英語). Hyperion. 2025年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月27日閲覧。
  10. ^ a b 研究紀要 2003, p. 79.
  11. ^ 岩田幸雄: “ブラームス”. History of music. 2025年5月3日閲覧。
  12. ^ Opus 103, Zigeunerlieder” (ドイツ語). Brahms-Institut. 2024年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月9日閲覧。
  13. ^ a b c d ZIGEUNERLIEDER Op.103(ジプシーの歌)」『第9回 関西六大学合唱演奏会パンフレット』(PDF)関西六大学合唱連盟、1982年11月3日、15頁http://www.d-gleeclub-ob.jp/_src/72494128/198211%20%E7%AC%AC9%E5%9B%9E%E9%96%A2%E8%A5%BF%E5%85%AD%E9%80%A3.pdf?v=1677048422353#page=92025年5月3日閲覧 
  14. ^ 三宅幸夫「第八章 『交響曲第四番ホ短調』」『ブラームス カラー版作曲家の生涯』新潮社新潮文庫〉、1986年12月20日、154頁。 
  15. ^ Brahms: Zigeunerlieder, Op. 103” (英語). ficksmusic.com. Ficks Music. 2025年5月31日閲覧。
  16. ^ a b 大田黒 1948, p. 204.
  17. ^ ジプシーの歌」『同志社グリークラブ第61回定期演奏会パンフレット』(PDF)同志社グリークラブ、1965年11月18日、7頁http://www.d-gleeclub-ob.jp/_src/57210726/196511%20%E7%AC%AC61%E5%9B%9E%E5%AE%9A%E6%9C%9F%E6%BC%94%E5%A5%8F%E4%BC%9A-CL.pdf?v=1677048422353#page=82025年5月3日閲覧 
  18. ^ a b 研究紀要 2003, p. 77.
  19. ^ a b c 門馬 1981, p. 82.
  20. ^ a b c 門馬 1993, p. 434.
  21. ^ a b c 大田黒 1948, p. 205.
  22. ^ a b c 門馬 1981, p. 83.
  23. ^ a b c 門馬 1993, p. 435.
  24. ^ 門馬 1981, pp. 83–84.
  25. ^ a b c d e 門馬 1981, p. 84.
  26. ^ a b c 門馬 1993, p. 436.
  27. ^ a b 門馬 1993, p. 437.
  28. ^ a b 大田黒 1948, p. 206.
  29. ^ 門馬 1965, pp. 189–190.
  30. ^ ジプシーの歌 楽譜ナビ
  31. ^ カール・ガイリンガー 著、山根銀二 訳『ブラームス』芸術現代社、1975年11月、451頁。NDLJP:12433241/228 
  32. ^ a b c Opus 112, Sechs Quartette für Sopran, Alt, Tenor, Bass und Klavier” (ドイツ語). Brahms-Institut. 2024年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月13日閲覧。
  33. ^ a b 6 Quartets, Op.112 (Brahms, Johannes)” (英語). IMSLP. Project Petrucci LLC. 2025年5月3日閲覧。
  34. ^ a b c d e Opus 112: Six Quartets for Soprano, Alto, Tenor, and Bass, including Four Zigeunerlieder” (英語). Brahms Listening Guides. Kelly Dean Hansen (2022年11月16日). 2025年5月12日閲覧。
  35. ^ a b 研究紀要 2003, p. 85.
  36. ^ Brahms: 6 Quartets, Op. 112” (英語). ficksmusic.com. Ficks Music. 2025年5月3日閲覧。 “During his summer vacation in 1891 Brahms composed” 出典中の「During summer vacation」の表記だけではイシュルに必ずしも夏だけ居たと限定することができない。

参考文献

関連項目

外部リンク




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