ジェームズ3世 (スコットランド王)とは? わかりやすく解説

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ジェームズ3世 (スコットランド王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 15:01 UTC 版)

ジェームズ3世
James III
スコットランド国王
在位 1460年 - 1488年
戴冠式 1460年8月10日、ケルソー

出生 (1451-07-10) 1451年7月10日
スコットランド王国セント・アンドルーズ
死去 (1488-06-11) 1488年6月11日(36歳没)
スコットランド王国、ソーキバーン
埋葬 スコットランド王国、キャンバスケネス・アビー
配偶者 マーガレット・オブ・デンマーク
子女 ジェームズ4世
ジェームズ
ジョン
家名 スチュワート家
王朝 スチュワート朝
父親 ジェームズ2世
母親 メアリー・オブ・グエルダース
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ジェームズ3世(James III, 1451年7月10日 - 1488年6月11日)はスコットランド王(在位:1460年 - 1488年)。ジェームズ2世とゲルデルン公女メアリーの子。概して公正さに欠き、イングランドとの協調政策や、家族との破滅的な関係などにより国民の支持を得られず、無力な統治者であった。

生涯

1460年、父の死により幼年で即位し、母メアリーとセント・アンドルーズ司教ジェームズ・ケネディーが後見人となり、摂政会議に諮って政治が行われた[1]1469年8月10日、デンマーククリスチャン1世ノルウェースウェーデンの王も兼ねる)の王女マーガレット(マルグレーテ)と結婚した。当時の北欧3国はカルマル同盟によって大国となっており、対イングランド関係においても有利な婚姻であった[2]。スコットランド側は王女の持参金に現金を要求したが、クリスチャン1世は手元不如意を理由に、後で代金を支払う代わりとして取りあえず、スコットランド北方のオークニー諸島シェトランド諸島を持参金とした[3]。しかし現金は結局支払われず、以来この2つの諸島はスコットランド領となっている[3]

1488年、不満を抱いた貴族や長男ジェームズとの戦い(ソーキバーンの戦い)で敗死した[4][5]

政治面では無力であったが、文化面には深い関心を示し[6][7]、その治世の間にスコットランドでは芸術面で発展が見られた。

子女

王妃マーガレットとの間に、3男をもうけた[8]

脚注

  1. ^ 森、pp. 204 - 205
  2. ^ 森、p. 207
  3. ^ a b 森、p. 208
  4. ^ 森、pp. 216 - 217
  5. ^ トランター、pp. 182 - 183
  6. ^ 森、p. 218
  7. ^ トランター、p. 173
  8. ^ 森、p. 223

参考文献

  • 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
  • ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年



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