スチュワート氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 09:01 UTC 版)
スチュワート氏族 | |||
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Stiùbhard[1] | |||
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座右の銘 | Virescit vulnere virtus (勇気は傷により強くなる)[1] |
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概要 | |||
地域 | ローランド地方およびハイランド地方 | ||
地区 | レンフルーシャー、テヴィオットデイルおよびローダーデイル | ||
プラント・バッジ | アザミ[1] | ||
パイプ音楽 | Bratach Bhan nan Stiubhartach (スチュワート家の白い旗)[1] | ||
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スチュワート氏族は氏族長が存在しない紋章氏族である。 | |||
司令官 | ギャロウェイ伯が最上位とみなされているが、氏族長ではない。当主格は第14代ギャロウェイ伯アンドリュー・スチュワートである。 | ||
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スチュワート氏族 (ゲール語: Stiùbhard) はスコットランド低地方の氏族である。この氏族はスコットランド紋章院によって認められているものの、スコットランド紋章院総裁によって認められた氏族長はいない。何故ならば氏族長を有していない氏族は「紋章氏族」と見做されうるからである。ただし、ギャロウェイ伯爵が現在、スチュワート氏族の「支族の頭目」と見做されており [2]、ギャロウェイ伯爵の紋章のクレストとモットーにはスチュワート氏族のクレスト・バッジが用いられている。スコットランド紋章院は、これとは別にスチュワート・ビュート氏族とスチュワート・アッピン氏族の2つの氏族を'スチュワート' 氏族として認めている。スチュワート・ビット氏族は今日、承認された氏族長を有する唯一の'スチュワート' 氏族である[3]。
歴史
氏族の起源
スコットランド の君主となったスチュワート氏族は、フランス・ブルターニュのドルにて執事を務めた一族の子孫であった[4]。ノルマン・コンクエストの後はイングランドにて領地を得ている[4]。執事(Steward) であった ウォルター・フラードルないしウォルター・フィッツアランは、デイヴィッド1世聖王がスコットランド王位を請求した時に同国にやって来た[4]。Stewartという姓は一族の官職であるStewards から来ている[5]。スコットランド王室執事長(High Steward of Scotland)に任命されてレンフルーシャーとイースト・ロージアンにて広大な所領を与えられた[4]。ウォルターは、1164年のレンフレーフの戦いでアイルランド王ソマーレド (ドナルド氏族の祖先)を破った王軍の指揮官の1人であった[4]。(en:Walter fitz Alanを参照のこと)。
スコットランド独立戦争
スコットランド独立戦争中、第5代王室執事長ジェイムズ・スチュワートはイングランド国王エドワード1世長脛王に忠誠を誓った[4]。しかしながら、後にウィリアム・ウォレス及びスコットランド国王ロバート1世によるスコットランド独立を目指す戦いを支持している[4]。
スチュワート(ステュアート)王家
第6代王室執事長ウォルター・スチュワートはロバート1世の娘であるマージョリーと結婚した[4]。ロバート1世の息子であるデイヴィッド2世が死ぬと、ウォルター・スチュワートの息子であるロバート2世が継承して国王となった[4]。ロバート2世には多くの子供がおり、長男であるジョンがロバート3世として王位を継いだ[4]。スコットランド王家としてのスチュワート氏族、いわゆるスチュワート朝の男系はメアリー1世による統治まで途切れることがなかったが[4]、彼女の代にスチュワートからフランス語に基づくステュアート(Stuart)へと綴りを変更している。王家としてのステュアート氏族は、スコットランド王位、後にはイングランド王位を1714年にアン が死ぬまで保持していた[4]。
オールバニ=スチュワート

オールバニ公は、スコットランド及び後のイギリス王室において年少の男子に授けられた貴族号であり、とりわけスチュワート家がそうであった。ロバート2世の3男である初代オールバニ公ロバート・スチュワートは、父王、兄王、そして甥であるジェームズ1世の統治期間中は摂政を務めていた[4]。ロバート2世の4男であるバカン伯アレグザンダー・スチュワートは「バドノッホの狼」(Wolf of Badenoch)として有名であり、エルギン大聖堂の破壊に寄与している[4]。
ジェームズ1世の親政が始まると、新国王は従兄弟であるオールバニ=スチュワート一族の力を抑制した[4]。ジェームズ1世は初代オールバニ公の息子であるマードックの首を刎ねたのである[4]。マードックの息子であるウォルターとアレグザンダーも同様に処刑された [6][7]。
氏族の主な分枝

スコットランド王家以外のスチュワート氏族の主な分枝に14世紀から15世紀にかけてハイランド地方 に定住したスチュワード・オブ・アッピン、スチュワート・オブ・アサル、スチュワート・オブ・バルクハイダーがある[4]。今日、ギャロウェイ伯爵 がスチュワート氏族の主流と見做されている[4]。
スチュワート・オブ・アッピン
スチュワート・オブ・アッピン氏族は、第4代王室執事長アレグザンダー・スチュワートの息子であるジョン・スチュワート・オブ・ボンキル卿の子孫である[4]。ジョン卿の息子であるジェイムズ・スチュワートは1333年のハリドン・ヒルの戦いで戦死した[4]。そのマクドルガㇽ氏族長の保持するローン領主の相続人と結婚し[4]、スチュワート氏族で最初のローン領主となった[4]。スチュワート・オブ・アッピン氏族は17世紀 の内戦時には王党派を支持し、ジャコバイトによる 1715年の蜂起並びに1745年の蜂起の時は追放されたステュアート王家を支持した[4]。
スチュワート・オブ・アサル
スチュワート・オブ・アサル氏族はスコットランド王ロバート2世王子バカン伯アレグザンダー・スチュワート (Wolf of Badenoch)の庶子の子孫である[4]。ジェイムズ・スチュワートはガースの地に強力な城を築いて14世紀末にそこに定住した[4]。ジェームズ1世の未亡人であるジョウンは、第4代王室執事長の子孫にあたるローンの黒騎士ことジェイムズ・スチュワートと再婚した[4]。2人の息子である ジョン・スチュワート・オブ・バルヴェニーは異父兄であるスコットランド国王ジェームズ2世からアサル伯を授けられた[4]。初代アサル伯は王軍を指揮して 島の太守による反乱と向かい合うことで兄王を助けた[4]。第5代アサル伯は男子を残すことなく死去し、その娘が第2代タリバーディン伯ウィリアム・マレーと結婚し、彼がアサル伯として後を継いだ[4]。Wolf of Badenochの子孫を主張する多くのスチュワート氏族がアサル地区に住んでいる[4]。彼らの多くがアサル伯マレーへの忠誠によって移され、アサルの人として知られている[4]。これは、ヨーロッパにおける唯一の合法的な私軍であるアサル・ハイランダーズとともに今日でも維持されている[4]。ヴィクトリア朝時代の アサルの人であるデイヴィッド・スチュワート・オブ・ガース元帥はブラック・ウォッチ連隊の将校であり、その著作である『Sketches of the Highlanders and Highland Regiments』は一族の故郷では人気を博した [4]。
スチュワート・オブ・バルクハイダー
バルクハイダーにスチュワート氏族が来たのは 1490年頃であり、この時、ジェームズ1世による迫害から逃れることの出来たオールバニ公マードックの唯一の息子の孫であるウィリアム・スチュワート は同地における王冠領の市官吏に任命されている[4]。
スチュワート・オブ・ビュート
スチュワート・オブ・ビュート氏族の長はロバート2世の庶子であるサー・ジョンの子孫である[8]。
系図
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アラン ドルの執事 |
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アラン ドルの執事 |
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フラールド モンマス領主 |
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アラン オズウェストリー領主 |
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ウィリアム |
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ウォルター (1177年没) 初代ハイ・スチュワード |
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ジョーダン ドルの執事 |
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フィッツアラン家 |
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アラン (1204年没) 2代ハイ・スチュワード |
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ウォルター (1246年没) 3代ハイ・スチュワード |
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ジェイン (ビュート卿ジェームス娘) |
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アレグザンダー (1283年没) 4代ハイ・スチュワード |
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ジョン (1249年没) |
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ウォルター |
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メアリー メンテイス女伯 |
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ジェームズ (1309年没) 5代ハイ・スチュワード |
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ジョン (1298年没) スチュワート・オブ・アッピン氏族祖 |
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エリザベス =サー・ウィリアム・ダグラス (ダグラス伯家祖) |
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アレグザンダー メンテイス伯家祖 |
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ジョン |
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エリン (マー伯ガルトナイト娘) |
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アンドリュー |
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ウォルター (1292-1326) 6代ハイ・スチュワード |
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マージョリー (スコットランド王ロバート1世娘) |
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アレグザンダー アンガス伯家祖 |
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アラン レノックス伯家祖 |
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ウォルター ギャロウェイ伯家祖 |
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ジェームズ ローン卿家祖 |
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クリスティナ =サー・エドワード・キース |
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ロバート2世 スコットランド王(1) |
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ジャネット =サー・トマス・アースキン (マー伯家祖) |
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ロバート3世 スコットランド王(2) |
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ロバート オールバニ公 スチュワート・オブ・バルクハイダー氏族祖 |
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アレグザンダー バカン伯 スチュワート・オブ・アサル氏族祖 |
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ジョン(庶子) スチュワート・オブ・ビュート氏族祖 |
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ジョーン (スコットランド王ジェームズ1世寡婦) |
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ジェームズ・ステュワート ローンの黒騎士 アサル伯家祖 バカン伯家祖 トラクエア伯家祖 |
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ステュアート朝 (スコットランド) |
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ジョン・スチュワート 初代レノックス伯 |
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マシュー・スチュワート 2代レノックス伯 |
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エリザベス・ハミルトン |
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ジェームズ4世 スコットランド王(6) |
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マーガレット・テューダー (イングランド王ヘンリー7世娘) |
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アーチボルド・ダグラス |
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ジョン・スチュワート 3代レノックス伯 |
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マデリン・オブ・ヴァロワ |
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ジェームズ5世 スコットランド王(7) |
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メアリー・オブ・ギーズ |
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マーガレット・ダグラス |
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マシュー・ステュアート 4代レノックス伯 |
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ロバート レノックス伯 マーチ伯 |
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ジョン |
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ジェームズ マリ伯 |
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フランソワ2世 フランス王 |
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メアリー1世 スコットランド女王(8) |
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ヘンリー・ステュアート ダーンリー卿 |
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チャールズ・ステュアート レノックス伯 |
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エズメ 初代レノックス公 |
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ジェームズ6世/1世 スコットランド王(9) イングランド王(1) |
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アーベラ・ステュアート |
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ルドヴィック 2代レノックス公 |
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エズメ 3代レノックス公 |
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ジェイムズ 初代リッチモンド公 |
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ジョージ |
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ステュアート朝 (王冠連合) |
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エズメ 2代リッチモンド公 |
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チャールズ 3代リッチモンド公 |
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城址
- エディンバラ城とスターリング城は王室としてのスチュワート氏族が有した最も著名な城である。
- ステュアート城はスチュワート・オブ・アサル氏族の居城である。
- ストーカー城はスチュアート・オブ・アッピン氏族の邸宅である。
- ロホランザ城は1262年に国王アレグザンダー3世が第6代王室執事長ウォルター・スチュワートに下賜した。
- ダンドナルド城は第4代王室執事長アレグザンダー・スチュワートによって13世紀に建てられた。
- フォークランド宮殿は14世紀にスチュワート王家が得て、オールバニ公ロバート・スチュワートが所有していた。
- ダウン城は14世紀にオールバニ公ロバート・スチュワートによって建てられた。
- カークウォールの伯爵宮殿はジェームズ5世の庶子初代オークニー伯ロバート・スチュワートによって建てられた。
- カークウォールの司教宮殿 は元来、ノルウェーの要塞であったが、後に所有権が初代オークニー伯ロバート・スチュワートに移った。
- スカロウェイ城は第2代オークニー伯パトリック・スチュワートによって建てられた。
- バーセイの伯爵宮殿は第2代オークニー伯パトリック・スチュワートによって建てられた。
- クロックストン城はスチュワート氏族の様々な分枝が所有していた。
- ロスシー城は13世紀初頭にスチュワート氏族によって建てられた。
- ガース城:スチュワート氏族が強化した。
- アルドヴォリッチ城、スチュワート氏族が強化した。
- グランドトゥリー城、スチュワート氏族が強化した。
- ガリース城、スチュワート氏族が強化した。.
関連項目
- スコットランドの氏族
- 紋章氏族
- スコットランド王室執事長
- ギャロウェイ伯スチュワート・オブ・ギャロウェイ
- マレー伯スチュワート・オブ・マレー
- トラクエ伯スチュワート・オブ・トラクエ
- ビュート侯爵 クリストン=スチュワート・オブ・ビュート
- en:Earl Castle Stewart ティロン県のスチュワート氏族
- モンマス公ジェイムズ・スコット イングランド王チャールズ2世の庶長子。
- バクルー公 モンマス公の子孫。
- グラフトン公 チャールズ2世の庶子ヘンリー・フィッツロイの子孫。
- セント・オールバンズ公 チャールズ2世の庶子チャールズ・ボークラークの子孫。
- リッチモンド公、レノックス公及び ゴードン公 チャールズ2世の庶子チャールズ・レノックスの子孫。
- ベリック公 イングランド王ジェームズ2世の庶子ジェームズ・フィッツジェームズの子孫。フィッツ=ジェームズ家。
脚注
- ^ a b c d Clan Stewart Profile scotclans.com. Retrieved 13 December 2013.
- ^ myclan.com
- ^ Nelker, Gladys P., The Clan Steuart, 1970
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah Way, George and Squire, Romily. Collins Scottish Clan & Family Encyclopedia. (Foreword by The Rt Hon. The Earl of Elgin KT, Convenor, The Standing Council of Scottish Chiefs). Published in 1994. Pages 459 - 461.
- ^ Clan Stewart rampantscotland.com. Retrieved 11 November 2013.
- ^ Walter Stewart familysearch.org. Retrieved 16 June 2013.
- ^ Alexander Stewart familysearch.org. Retrieved 16 June 2013.
- ^ Way, George and Squire, Romily. Collins Scottish Clan & Family Encyclopedia. (Foreword by The Rt Hon. The Earl of Elgin KT, Convenor, The Standing Council of Scottish Chiefs). Published in 1994. Pages 330 - 331.
参考文献
- T.F.Henderson The Royal Stewarts William Blackwood and Sons, 1914.
外部リンク
- Stewart Society
- Clan Stewart Society in America, Incorporated
- The Stewart/Stuart Association of Nova Scotia
- http://www.electricscotland.com/webclans/stoz/stewart2.html
- http://www.scotclans.com/clans/Stewart/history.html
- http://freepages.genealogy.rootsweb.com/~peistewart/index.html
- Stewarts of Balquhidder webpage
- Stewarts of Campbeltown, Kintyre
- スチュワート氏族のページへのリンク