フィッツ=ジェームズ家とは? わかりやすく解説

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フィッツ=ジェームズ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/06 00:34 UTC 版)

ベリック公爵の紋章
アルバ公爵の紋章

フィッツ=ジェームズ家Fitz-James)又はフィッツ=ジェームズ・ステュアート家Fitz-James Stuart)は、イングランド及びスコットランドの王朝だったステュアート家の非嫡出の分流である。名誉革命後、スペインフランスに帰化し両国の上流貴族層に名を連ねた。

イングランド王・スコットランド王ジェームズ2世(7世)(当時はヨーク公)と1665年頃から約10年間ほど愛人関係にあった宮廷女官レディ・アラベラ・チャーチルの間には4人の子が生まれ、「ジェームズの子」を意味するフィッツ=ジェームズの姓を与えられた。1688/1689年の名誉革命の結果、子供たちの多くは父に付き従って国外に亡命した。長男のジェームズ・フィッツジェームズジャコバイト運動に加わり、フランス軍やスペイン軍で指揮官として活躍した。

彼はその功績を認められてスペインのリーリア・ヘリカ公爵スペイン語版位及びグランデ特権、フランスのフィツ=ジャム公爵英語版及びフランス同輩公英語版身分を授けられた。スペインでの爵位・栄典、そしてジェームズが名誉革命以前に父王から授けられたベリック公爵英語版位は、最初の妻との間の長男が継承した。フランスでのそれらは2番目の妻との間の息子たちが相続し、フィッツ=ジェームズ家はスペイン系とフランス系に分かれた。

スペイン系のフィツ=ハメス・ストゥアルト家Fitz-James Stuart)は2017年現在も続いている。第7代リーリア公爵カルロス・ミゲル・フィツ=ハメス・ストゥアルト・イ・シルバは1802年、子供の出来なかった親類の第13代アルバ女公爵マリア・テレサ・カイエターナからアルバ公爵位を相続し、第14代アルバ公爵となった。1953年、第17代アルバ公爵ハコボ・フィツ=ハメス・ストゥアルト・イ・ファルコの死後、アルバ公爵位は長女マリア・デル・ロサリオ・カイエターナが相続したが、イングランドのベリック公爵位に対する請求権は、甥の第15代ペニャランダ公爵フェルナンド・フィツ=ハメス・ストゥアルト・イ・サーヴェドラ(1922年 - 1971年)が受け継いだ。

フランス系のフィツ=ジャム家Fitz-James)は、18世紀にフランスの宮廷貴族として司教、陸軍元帥、女官などを輩出した。1967年に第10代フィツ=ジャム公爵ジャック・ド・フィツ=ジャム(1886年 - 1967年)の死とともに断絶した。フランス・オワーズ県の村フィツ=ジャム英語版は、同家に因んだものである。

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