シーランド建国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 05:53 UTC 版)
「パディ・ロイ・ベーツ」の記事における「シーランド建国」の解説
放送停止後、ベーツはイギリス領海外にある「ラフス・タワー」に移動したが、その後も放送は停止したままだった。1967年8月14日に海洋放送法(英語版)が施行され、マンセル要塞からのラジオ放送が禁止された。海洋放送法施行の19日後の9月2日、ベーツは「ラフス・タワー」の独立を宣言しシーランド公国を建国した。 1968年、海賊放送「ラジオ・キャロライン」のローラン・オライリー(英語版)がシーランドの占拠を試み、これに対し火炎瓶と拳銃で応戦し阻止した。その際、騒ぎを聞き駆け付けたイギリス海軍に対し、息子のマイケル(英語版)公太子が「シーランドへの領海侵犯」として警告射撃したためベーツ父子は逮捕された。 逮捕後、ベーツ父子は不法占拠の罪で訴えられるが、イギリスの裁判所は「シーランドはイギリスの領海外であり、かつ、今まで領有権を主張してこなかった」ためイギリス司法の管轄外として父子を釈放した。裁判所の判断を受け、ベーツは「イギリスがシーランドの主権を認めた」と主張し、1975年には憲法・国旗・国歌を制定した。
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