シューメーカー・レヴィ第9彗星の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 03:51 UTC 版)
「天文家」の記事における「シューメーカー・レヴィ第9彗星の影響」の解説
古来より天体観測者の間では、新天体の発見、特に彗星の発見は大きな目標の一つとされ、日本でも1965年の池谷・関彗星の発見に刺激され天体観測を志したものが多く、1960年代から1990年代半ばまでは日本人アマチュア天文家が多大な貢献をなしていた。 しかし、1994年になって大きな変動が起こる。1994年7月のシューメーカー・レヴィ第9彗星の木星衝突により、地球への天体衝突の可能性が現実問題として語られるようになった。この問題への対処のため、天文台等の科学学術機関による積極的な観測が開始され、自動観測技術の向上、衛星からの写真分析などもあいまって、1990年代後半以降は個人による彗星・小惑星の発見は難しいものとなった。 これにより、天体の第一発見者となることを目標とするアマチュア天文家は、観測対象を変更する者が相次いだ。2000年以降に板垣公一をはじめとした日本人による新星・超新星の発見が激増しているのは、この影響である。それにより科学的にも重要な発見がなされている。
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