シャーロキアンによる説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 05:18 UTC 版)
「空き家の冒険」の記事における「シャーロキアンによる説」の解説
大空白時代にホームズがとった行動を裏付ける証拠はなく、シャーロキアンの多くはホームズの証言に間違いがあるという結論に達している。そのため、実際にどんな行動をしていたのかを考察した説が数多く発表されている。ただし、これらの説に対しては、「どれも突拍子も無い物ばかり」とする評価もある。 ベアリング=グールドが解釈派と呼ぶシャーロキアンによる説には、以下のようなものがある。 3年間ずっとロンドンにいた。ワトスンはホームズが死んだふりをする計画に協力し、死亡と帰還の物語を捏造したのである。 アメリカに滞在していた。「踊る人形」において、ニューヨーク警察にホームズの友人がいるのは、この時期の滞在が理由である。 連合国側のスパイをしていた。日清戦争の準備中だった日本をはじめ、世界各地を調査していたのである。 「ボヘミアの醜聞」に登場するアイリーン・アドラーと結婚生活を送っていた。 ベアリング=グールドがセンセーション派と呼ぶシャーロキアンたちによる説には、以下のようなものがある。 ホームズもモリアーティ教授も、ライヘンバッハの滝で死んでいない。なぜなら、教授はホームズが創造した架空の人物だったから・ホームズと教授は同一人物だったから・ライヘンバッハの滝での対決には替え玉を使ったから、など。 ホームズもモリアーティ教授も、ライヘンバッハの滝で死んでしまった。したがって、以後のホームズは替え玉である・以後のホームズ物語はワトスンの創作である、など。 死んだのはホームズで、以後はモリアーティ教授が入れ替わっている。 ベアリング=グールド自身は、ホームズの伝記『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯』の中で、モンテネグロ王国においてホームズとアイリーン・アドラーが同居生活を行っていたことにした。この同居生活は、ホームズを追ってモンテネグロに現れたセバスチャン・モラン大佐により幕を下ろす。モンテネグロを離れることでホームズを危険から守ろうとしたアイリーンは、アメリカに去ったのである。ホームズは兄マイクロフトの要請でチベットに向かい、その後の行動はおおむね「空き家の冒険」における証言を踏襲している。
※この「シャーロキアンによる説」の解説は、「空き家の冒険」の解説の一部です。
「シャーロキアンによる説」を含む「空き家の冒険」の記事については、「空き家の冒険」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からシャーロキアンによる説を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からシャーロキアンによる説 を検索
- シャーロキアンによる説のページへのリンク